1月 出来事

1月30日 <日英同盟協約、ロンドンで調印(1902年=明治35)>

116年前のこの日、日英同盟協約がロンドンで調印されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

アジアの大国であった「眠れる獅子」こと清国が、日清戦争に敗れてその弱体ぶりを露呈すると、欧米列強の目はいっせいに清国に注がれることになりました。

ドイツが宣教師殺害事件をきっ かけに、1898年(明治31)に山東半島の膠州湾(こうしゅうわん)を租借すると、続いてロシアが、三国干渉によって日本が清国に返還した遼東半島の旅順・大連などを、イギリスが威海衛(いかいえい)・九龍を、フランスは広州湾をそれぞれ租借し、アメリカも1899年(明治32)、マッキンレー大統領のもとで国務長官ジョン・ヘイが清国に対する門戸開放・機会均等・領土保全を宣言して、列強の清国進出に介入する姿勢を示しました。

列強はこれらの租借地を根拠地として鉄道敷設権や鉱山採掘権などを得て、清国での権益を拡大していったのでした。

 

 

このような列強の進出に対抗して、清国内には光緒帝(こうしょてい)のもとで康有為(こうゆうい)・梁啓超(りょうけいちょう)らを中心に、明治維新以来の日本の改革にならって立憲政治を取り入れて国内の改革を想かり、国力を充実しようとする動き(変法自強の運動)が起こりました。

しかし、1898年(明治31)に西太后(せいたいごう)ら保守派のクーデタによって変法派は一掃され、その多くは 日本などの海外に亡命を余儀なくされ、改革は挫折したのでした。これを戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)と呼びます。

 

こうした情勢の中で、列強の進出に反発して清国の民衆の間に外国人排斥気運が高まり、山東省では義和団を中心に「扶清滅洋(ふしんめつよう)」を叫ぶ排外運動が起こりました。清国政府は、これを煽り立てたので、運動は華北一帯に広がり、各地でキリスト教会が襲われて外国人宣教師が殺されたり、鉄道が破壊されたりしました。

1900年(明治33)には、北京でドイツ公使や日本の公使館書記生が殺害され、列国公使館が清国兵や民衆に包囲されました。これに同調して清国は列国に宣戦を布告したのでした。日本は米・英・露・仏などの諸国とともに軍隊を派遣し、義和団の乱を鎮圧して外交官や居留民を救出しました。翌1901年(明治34)、北京議定書が調印され、清国は列国に莫大な賠償金を支払い、北京などに列国の守備兵をおくことを認めました。これ が北清事変(義和団事件)です。

 

 

ところが、ロシアは北清事変が収まったのちも十数万人の大軍を満州にとどめ、事実上、満州を軍事占領し、さらに清国と露清密約を結んで南下する気配を示しました。

このため韓国を勢力下におこうとした日本は、韓国問題と満州問題をめぐって真正面からロシアと対立する事になりました。

ロシアの勢力拡張に脅威を感じた日本政府部内には、2つの意見が出ました。

  • 日露協商論:伊藤 博文・井上馨:ロシアの満州における自由行動を認めるかわりに、日本の韓国支配を認めさせようとするいわゆる満韓交換によって、日露間の利害を調整しようとするもの
  • 日英同盟論:桂太郎首相・小村寿太郎外相:イギリスと提携してロシアをおさえ、韓国での権益を守ろうとするもの

 

勢力均衡の立場から、他国とは同盟を結ばず、<光栄ある孤立>を保ってきたイギリスでしたが、当時ヨーロッパのバルカン半島や東アジアでロシアと対立し、その勢力拡張を警戒していたので、実は日露両国の接近を恐れていました。そして、東アジアで立憲政治を実現するなど近代化を推進し、日清戦争に勝利をおさめた日本の国力を高く評価して日本との提携をはかり、日英同盟論を歓迎したのでした。

その結果、1902年(明治35)のこの日、ロンドンで日英同盟協約が成立しました。

 

協約の内容は、

  1. 清国・韓国の独立と領土保全を維持すると共に、日本の清韓両国、及びイギリスの清国における政治的・経済的特殊利益を互いに擁護する
  2. もし日英のいずれかが第三国と戦争を始めたときは、他方は厳正中立を守る
  3. さらに2国以上と交戦した時は援助を与え、共同して戦闘にあたる

というものでした。

 

このように、日英同盟協約は、日本が欧米列強と結んだ初めての対等条約で、これは日本にとって欧米先進諸列強への仲間入りを意味するものでした。こうして日本は国際政局に登場し、列強相互の対立を利用しつつ、対外的な勢力拡張を企てることになりました。

とは言うものの、下の風刺画をご覧下さい。

左のロシアが栗(韓国のこと)を炒っています。それを右の英米が日本をけしかけて、漁夫の利を得ようと企んでいる…というものです。

こちらも似たようなもので、実はこんな風に見られていたようです。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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