今日という日はどんな日でしょうか?
日本史の中の出来事を覗いてみましょう。
1904年(明治37)の今日、朝日新聞の西日本版「大阪朝日新聞」の朝刊にコラム「天声人語」の掲載がスタートしました。
途中で、同コラムの名称は何度か変わりましたが、現在も掲載が続いている「天声人語」となったのは1945年(昭和20)9月6日のことでした。
その題名の由来は、「天に声あり、人をして語らしむ」という言葉にあるそうなんですが、出典についてはネット上で以下の2つの説が見つかりました。
- 命名者は西村天囚で、「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来し、「民の声、庶民の声こそ天の声」という意味とされるが、この古典が何であるかは高島俊男によれば不明である
- ラテン語の”Vox populi vox dei.(民の声は天の声なり)”の訳語から来ているらしい
朝日新聞のウェブサイトに、天声人語に関するページがあります。→天声人語とは
以下に、その一部を引用します
天声人語とは
朝刊1面のコラム「天声人語」は、朝日新聞が1879年に大阪で産声を上げた25年後に登場しました。名称変更や中断もありましたが、戦後は途切れることなく、世相を切り取ってきました。人々の喜びや悲しみに寄り添い、時には政権を厳しく批判。どの時代にあっても「いま」と向き合い、様々なメッセージを送り続けてきた名物コラムです。
(朝日新聞社のウェブサイトより引用)
天声人語の舞台裏
東京・築地にある朝日新聞東京本社。
大勢の記者がせわしなく行き交う報道・編成局から一つ階を上がると、しんとしたフロアの一角に論説委員室がある。
その一番奥、隅田川を見下ろす窓辺のデスクで、天声人語は生み出される。
(朝日新聞社のウェブサイトより引用)
執筆は、2人の論説委員が担当する。
天声人語には603文字分のスペースがあり、そこに何を、どう刻むか。
2人が大事にしているのは「できるだけ新鮮なニュースを題材にする」ということだ。
取り上げるテーマは、基本的に執筆の前夜か当日に決める。
執筆中に大ニュースが起きれば、テーマを切り替えることもある。
テーマが決まったら、 起承転結を考える。
(朝日新聞社のウェブサイトより引用)
天声人語は、五つの「▼」で区切られた六つの段落から成る。
最初の段落は、読者をグッと引きつける「つかみ」で、
筆者が苦労する最初の関門である。
この段落の出来栄えがコラム全体の印象に影響する。
2人は常々、印象的な言葉をメモし、
机の引き出しにストックしている。
第2〜5段落では、その日のテーマの説明や、それにまつわる議論の紹介などが中心となる。
最後の第6段落は、コラムの結論。
「認後感」を左右するため、極めて重要だ
ニュース面に載っている解説記事の結論と同じでは面白みがない。
どうやってコラムらしい余韻を残しながら締めくくるか。
夕刻、筆者はパソコンを前に悩み、言葉を絞り出す。
(朝日新聞社のウェブサイトより引用)
毎日、筆者が出勤すると、机には読者からの感想の手紙が届いている。
毛筆によるお叱りの手紙があれば、励ましの絵はがきもある。
文中で触れた詩や句、本に関する問い合わせも多い。
「常連さん」のはがきが数日来ないと、「何かあったのかな」と気になる。
一通一通に目を通した後、603マスと向き合う一日がまた始まる。
(朝日新聞社のウェブサイトより引用)
こうして、生み出された603マス分の文章は、常にある出来栄えを保っており、また、大学などの入学試験で取り上げられることが多いそうです。
今日はここまでです。
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