1月 出来事

1月9日 <両国の新国技館の落成式(1985年=昭和60)>

2018/01/09

33年前のこの日、東京都墨田区横網に完成した新国技館の落成式が盛大に行われました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

国技館は、日本相撲協会が維持・管理する常設の相撲場です。

日露戦争後、梅ヶ谷・常陸山両横綱の対戦が人気を呼び、ナショナリズム高揚の気運にものって相撲興行は好況を呈していました。

その機にあわせ、大日本相撲協会は、天候に左右されていた興行を安定させるため、東京両国の回向院(えこういん)境内に常設館を建設し、1909年(明治42)6月に開館し、国技館と命名しました。

下に貼り付けたのは、最初の両国国技館です(画像はWikipediaから無断借用してきました)。写真または写真下の青字部分をクリックするとWikipediaの大きな画像が見られます。

<初代両国国技館>

 

それ以降、相撲はひろく国技と称され人気を博して現在に至っていますが、国技館は失火や関東大震災によって焼失・再建されましたが、第2次世界大戦では、1945年(昭和20)3月10日にあった東京大空襲によって再び焼失し終戦を迎えています。下の画像は関東大震災によって被災した旧両国国技館です。

<関東大震災で被災した旧両国国技館>

 

第2次世界大戦後、両国国技館跡は占領軍に接収され、敗戦後の大相撲の場所の興行は、野外(神宮外苑相撲場など)や日本橋浜町仮設国技館で行われた後、翌1950年(昭和25)1月〜1984年(昭和59)9月の秋場所まで蔵前国技館が使用されました。

下の写真は蔵前国技館です。例の如くWikipediaからの無断借用です。

<蔵前国技館>

 

その後、日本相撲協会が国鉄の貨物操車場跡地を買い取り、再び、国技館が両国に戻ることが決まり、総工費150億円を掛けて建設(無借金で)された新国技館は、建設計画発表から3年の歳月で1984年11月30日に完成。そして翌1985年のこの日、落成式が盛大に行われました。

落成式では、真新しい土俵で、若島津(現松ケ根親方)と朝潮(現高砂親方)の両大関が蔵前国技館の落成式以来約30年ぶりとなる神事相撲を行い、その後、千代の富士(故九重親方)と北の湖(故北の湖親方)の両横綱が、三段構えを披露しました。

同月11日から始まった初場所では、千代の富士は「全勝優勝」、怪我を押して強行出場した北の湖は1勝も出来ずに「引退」と、新国技館の落成とともに土俵の上でも世代交代を印象づける場所でもありました。

下の写真は現在の両国国技館です。相撲協会のサイトから画像を借用してきました。

<現在の両国国技館>

 

上に見慣れない言葉「三段構え」が出てきたので補足しますね。

三段構えは、相撲の基本体とされる構えのこと、またこれを用い演じられる相撲の伝統儀式のことを言います。

上段(気迫)・中段(攻撃)・下段(防御)の3つの型によって構成され、儀式としては最も角界の習わしを重んじたものと位置付けられています。土俵開きなど特別な催しの際にのみ実施され、 最高位(通常は東西の横綱あるいは大関)の2人の力士が、土俵上で横に並んで行うものです。

YouTubeに日馬富士と鶴竜とが2016年(平成28)に行った三段構えの画像がありますのでご確認下さい。

三段構え(beyond 2020 in RYOGOKU) - YouTube

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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