1508年(永正5)のこの日、中世の代表的な地方暦の一つである三島暦の頒行が許されました。
これは室町時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
中世の代表的な地方暦の一つである三島暦は、伊豆国三島(現・静岡県三島市)の三島大社の暦師河合家によって独自に作成されたものです。
地方暦としては最も古く、その起源は鎌倉時代にまでさかのぼるものと考えられています。
三島暦の名を記した最古のものは足利学校蔵の1437年(永享9)の仮名版暦ですが、金沢文庫蔵の1317年(文保元)具注(ぐちゅう)版暦、栃木県真岡市荘厳寺蔵の1345年(貞和元・興国6)仮名版暦も三島暦であると推定されています。
三島大社が将軍家や武士の信仰が厚かったことや、朝廷の暦が東国にまで届きにくかったことなどから、鎌倉時代から東海・甲信・関東各地方に普及していました。江戸時代には伊豆・相模二国に限定されていました。
1508年(永正5)のこの日、その三島暦の頒行が許されました。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
- 2016年記事:<桓武天皇が、山背の新京に遷られました(794年=延暦13)>
今日はここまでです。
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