1893年(明治26)のこの日、文官任用令と文官試験規則とが公布されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
日本における近代国家の形成は、政府主導による改革を通じて進められていきました。
そうしたもろもろの改革を行政面で推進するにあたって、大きな役割を果たしたのが政府の官僚でした。
明治初期、政府官僚の人員更生は、高級官僚は明治維新の原動力となった薩長土肥(さっちょうどひ。薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩)4藩、そして中堅・下級官僚は幕臣出身者が高い比率と占めていました。
1880年代以降、内閣制度・各省官制の制定によって官僚機構の整備が進められると同時に、それまで情実任用(自由任用)によって採用されていた官僚そのものにたいしても、その採用制度の変更が行われました。
1893年(明治26)の今日、文官任用令と文官試験規則とが公布され、近代的な資格任用の制度が確立されたのでした。この「文官」は「武官」に対する表現で、明治期以降の場合は陸海軍の武官以外の官吏を文官と呼びました。
この文官任用令によって、文官のうち奏任官は文官高等試験に合格した者から、そして判任官は文官普通試験に受かったものから採用されることとなりました。
奏任官については、それまであった帝国大学卒業生の高等試験免除の特権は失われたのですが、官公立中学校卒業生の普通試験免除は存続しました。また勅任官については情実任用を原則としたため、制度としてはまだまだ徹底不十分なものでした。
その後も、藩閥政府と政党との間で、文官任用に関して綱引きが行われ、改定が行われました。
この文官任用令は第2次世界大戦後の1946年(昭和21)に廃止され、その後は国家公務員法にて運用されています。
また、文官試験規則は1948年(昭和23)に廃止され、その後は、人事院が実施する国家公務員総合職試験に継承されています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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