11月1日 <満州鉄道に特急あじあ号、運転開始(1934年=昭和9)>

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83年前のこの日、満鉄は新京(現・長春)と大連との間に新型特急あじあ号の運転を開始しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

満鉄は、正式な名称を南満洲鉄道(みなみまんしゅうてつどう)株式会社といい、その名の通り南満州において鉄道運輸業を営んでいた半官半民の会社です。

日露戦争後の1906年(明治39)に設立され、1945年(昭和20年)にポツダム宣言の受諾に伴って閉鎖されています。

 

日露戦争の勝利によって、東清鉄道南満州支線の長春から旅順まで、撫順(ぶじゅん)・煙台炭鉱などロシアの満州における利権の一部を獲得した日本は、その経営のため1906年(明治39)11月南満洲鉄道株式会社を設立しました。設立は、勅令(南満洲鉄道株式会社に関する件(明治39年勅令第142号))に基づき、資本金2億円のうち、日本政府はその半額の1億円を出資し、各種の保護と監督を加えて満州経営を推進したのです。

早い話が、満鉄は日露戦争後から第2次世界大戦期までの日本の満州侵略を中心的に担った国策会社だったのです。

 

1934年(昭和9)のこの日、満鉄は新京〜大連の701kmを所要時間8時間30分(表定速度は82.5km)で結ぶ特急あじあ号の運転を開始しました。列車の最高速度は110km/h、冷暖房完備・食堂車・展望車を連結した豪華超特急でした。

以下に、Wikipediaにあったその勇壮な写真を貼り付けておきますね(写真、その下のテキストからWikipediaの大きな画像が確認できます)。先頭の流線型の機関車がパシナと呼ばれる型式のもので、動輪の直径が何と2mもあり、全長:25.675m、車体幅:3.362m、高:4.8mという巨大なもので、川崎重工業で製造されていました(元ネタは川崎重工業公式サイト:1934年(昭和9年) パシナ形蒸気機関車979号が当社製造蒸気機関車の1,500両目となる)。

<特急あじあ号の勇姿(Wikipediaから無断借用)>

 

このあじあ号は翌1935年(昭和10)9月からは、新京からハルビンまで運転区間が延長されて、大連〜ハルビン間の943.3kmを12時間30分で結んでいました。

あじあ号の走っている姿が見られる古いYouTube動画があります。その1はあじあ号に関する映像のみ。その2では満鉄に関する映像もあり興味深いですよ。

 

動画その1

パシナ形蒸気機関車「あじあ号」(満鉄)

動画その2

南満洲鐡道株式會社の「満州の旅」から満鉄特急あじあ号の姿

 

 

このあじあ号を牽引したパシナ形蒸気機関車、終戦後は中国の国内で使われていましてね、その車両が1980年代には残っていたそうです。その車両を中国人の方々の協力を得て、復元走行させることに成功しており、以下に貴重な映像を動画その3で紹介しますね。元ネタは東洋経済の記事からです(「貴重映像!満鉄「あじあ号」の機関車が動いた」)。

 

動画その3

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

今日はここまでです。

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