1923年(大正12)のこの日、「国民精神作興ニ関スル詔書」を大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)がお発しになられました。
これは大正時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
「国民精神作興ニ関スル詔書」は日本史の教科書などには出てこない事柄です。
大正時代後期に、国民精神の振興と国家の興隆を国民に呼びかけた詔書で、国本涵養に関する詔書とも呼ばれています。
第一次世界大戦を通じてもたらされた著しい経済繁栄を背景に、大正後期には日本社会全般に享楽的頽廃的雰囲気が広がり、また社会労働運動の激化、社会主義思想の高まりなど、社会的動揺や思想の急進化が見られるようになりました。
政府や指導者層の間には、こうした「思想の悪化」に対して「思想の善導」をはかるべしとする声、国民教化が必要とするが強くなっていました。
特に、1923年(大正12)9月に起こった関東大震災によって人心の動揺・社会の不安が著しく、これに対処する意味もあって、同年のこの日、「国民精神作興ニ関スル詔書」が大正天皇の名で摂政宮(皇太子裕仁、後の昭和天皇)によって発布されました。
その内容は
「国家興隆の基礎が国民精神の剛健にあることを述べ、学問が進み人智が発達した今日においてかえって「浮華放縱ノ習」「輕佻詭激ノ風」が生じつつある時弊を指摘し、国民を戒め、上下協力して国民精神の振興と国家興隆を図るべき」
ということを国民に説くものでした。
Wikipediaにその全文があったので以下に引用します。
朕惟フニ國家興隆ノ本ハ國民精神ノ剛健ニ在リ之ヲ涵養シ之ヲ振作シテ以テ國本ヲ固クセサルヘカラス是ヲ以テ先帝意ヲ敎育ニ留メサセラレ國體ニ基キ淵源ニ遡リ皇祖皇宗ノ遺訓ヲ掲ケテ其ノ大綱ヲ昭示シタマヒ後又臣民ニ詔シテ忠實勤儉ヲ勸メ信義ノ訓ヲ申ネテ荒怠ノ誡ヲ垂レタマヘリ是レ皆道德ヲ尊重シテ國民精神ヲ涵養振作スル所以ノ洪謨ニ非サルナシ爾來趨向一定シテ效果大ニ著レ以テ國家ノ興隆ヲ致セリ朕卽位以來夙夜兢兢トシテ常ニ紹述ヲ思ヒシニ俄ニ災變ニ遭ヒテ憂悚交々至レリ
輓近學術益々開ケ人智日ニ進ム然レトモ浮華放縱ノ習漸ク萠シ輕佻詭激ノ風モ亦生ス今ニ及ヒテ時弊ヲ革メスムハ或ハ前緖ヲ失墜セムコトヲ恐ル況ヤ今次ノ災禍甚夕大ニシテ文化ノ紹復國カノ振興ハ皆國民ノ精神ニ待ツヲヤ是レ實ニ上下協戮振作更張ノ時ナリ振作更張ノ道ハ他ナシ先帝ノ聖訓ニ恪遵シテ其ノ實效ヲ擧クルニ在ルノミ宜ク敎育ノ淵源ヲ崇ヒテ智德ノ竝進ヲ努メ綱紀ヲ粛正シ風俗ヲ匡勵シ浮華放縱ヲ斥ケテ質實剛健ニ趨キ輕佻詭激ヲ矯メテ醇厚中正ニ歸シ人倫ヲ明ニシテ親和ヲ致シ公德ヲ守リテ秩序ヲ保チ責任ヲ重シ節制ヲ尚ヒ忠孝義勇ノ美ヲ揚ケ博愛共存ノ誼ヲ篤クシ入リテハ恭儉勤敏業ニ服シ產ヲ治メ出テテハ一已ノ利害ニ偏セスシテカヲ公益世務ニ竭シ以テ國家ノ興隆ト民族ノ安榮社會ノ福祉トヲ圖ルヘシ朕ハ臣民ノ協翼ニ賴リテ彌々國本ヲ固クシ以テ大業ヲ恢弘セムコトヲ冀フ爾臣民其レ之ヲ勉メヨ
(Wikipedia「国民精神作興ニ関スル詔書」から引用)
第二次山本内閣は、その翌日(11月11日)、詔の趣旨を拝して、教育の振興、特に徳育を根底として人格の養成を重んじ、忠君愛国の思想を基礎に一致協力、国力の発展をはかるべき旨の告諭を発布しました。
これは自由主義・民主主義・社会主義などの西洋思想の流入による「思想の悪化」に対抗して、伝統的な日本精神や国民道徳を強調することによって、国民教化を行わんとするものでした。
こうした動きを受け、内務省社会局が中心となって全国教化団体連合会が組織され、また、平沼騏一郎の国本などのような詔書の精神に基づく国粋主義・復古主義的な国民教化団体が中央・地方に数多く設立されました。
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今日はここまでです。
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