11月18日 <アインシュタインがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(1922年=大正11)>

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1922年(大正11)のこの日、その前日に来日した特殊相対性理論などの論文で天才科学者の名をほしいままにしたアインシュタイン博士が、東京にやって来ました。

これは大正時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

アインシュタイン博士、ベロ出しがお茶目なこの写真が小生は大好きです。

 

1905年(明治38)に光量子説・ブラウン運動理論・特殊相対性理論の3論文を発表して以来、科学思想の革命家をして世界中の注目を一身に集めていたアインシュタイン博士は、1922年(大正11)に日本を訪れることになりました。出版社である改造社が招聘し、アインシュタイン博士もまた、科学の世界的連携によって国際親善に役立ちたい、そして、ラフカディオ・ハーンが記した美しい日本をその眼で実際に見てみたいという思いがあったそうです。

 

1922年(大正11)10月8日、フランスのマルセイユから日本へ向かったアインシュタイン博士は、同年11月17日16:00過ぎ、遂に神戸港に到着しました。その当日は、京都の都ホテルに宿泊し、翌日、9:15発の特急で東京に向い、11月18日19:20東京駅にやって来たのでした。

東京駅頭で大群衆の出迎えを受けた博士は、その歓迎の人が引き起こす渋滞に巻き込まれながら、投宿する帝国ホテルに到着するまでたどり着いたそうです。

 

博士は来日後、各地(東京市・大阪市・神戸市・京都市・名古屋市・京都市・福岡市・仙台市)で精力的に講演を行い、計8回、14,000人の聴衆が熱心に博士の語られる言葉に聞き入りました。ちなみに、その講演の入場料は3円で、これはオペラのS席並だということです。

日本での講演の合間を縫って、博士は浅草、松島、日光、熱田、京都、奈良、宮島などを観光し、また能と歌舞伎も堪能されたそうです。

 

Wikipediaにアインシュタイン博士が息子に宛てた手紙で訪日の感想を述べているので以下にご紹介しますね。

「私が会った全ての人々の中で、日本人が一番好きだ。謙虚で物分かりや察しがよく、技術に対する勘があるから」

 

(Wikipedia「アルベルト・アインシュタイン」から引用)

 

この来日で、日本の科学者たちが大きな影響をうけたばかりでなく、一般大衆のなかにも「相対性理論ブーム」が起こったそうです。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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