11月8日 <南極観測船「宗谷」出発(1956年=昭和31)>

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61年前のこの日、永田武を隊長、西堀栄三郎を副隊長とする南極予備観測隊が、南極観測船「宗谷」に乗り南極に向けて出発しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

日本人による南極探検は、白瀬矗(しらせのぶ)陸軍中尉が隊長となり1910年(明治43)11月に、総勢27名が開南丸(204トン)に乗って出発したのが最初です。

1912年(明治45)1月、白瀬探検隊は鯨湾に上陸し、白瀬や学術部長武田輝太郎ら5人は犬ぞりに乗って南極大陸を探検し、また開南丸も南極の東側の氷海を探検し成果を上げました。

ちなみに、現在稼働している南極観測船「しらせ」は、この白瀬中尉の名前に由来しているそうです。

 

 

時は大きく下って、1957年(昭和32)7月からは国際地球観測年という国際科学研究プロジェクトが予定されていました。

日本はこれに参加し、国際的地位を認めてもらおうと考え、1955年(昭和30)には南極観測参加の意思を表明しましたが、国際地球観測年南極分科会では、第二次世界大戦で日本に遺恨を持つ複数の国から強硬な反発があり、「資格なし」とされてしまいました。

日本も明治時代の白瀬隊の実績を挙げて認可を求めましたが、それでも南極分科会は「国際社会に復帰する資格がない」とにべもなく突っぱねます。しかし、アメリカ、ソビエト連邦などの大国が日本支持に回り、最終的に参加が認められました。

そして、ノルウェーが国力不足を理由に南極観測を行わないと表明したため、当時ノルウェーが領有権を主張していた場所が日本の観測担当地域に割り当てられたのでした。

 

めでたく南極の国際共同観測事業に参加できることになった日本は、文部省に南極地域観測統合推進本部を設置し準備を進め、そして1956年(昭和31)のこの日、永田武を隊長、西堀栄三郎を副隊長とする南極予備観測隊が、南極観測船「宗谷」に乗り南極に向けて出発しました。

この日出発した南極予備観測隊は、ケープタウンを経て、10,800マイルの旅を終えプリンス・ハラルドに到着し、翌1957年(昭和32)1月29日に南極大陸に上陸し、昭和基地を設営しました。

 

この予備隊は、のちに第1次南極地域観測隊と呼称が変更されました。当初は2次で終了する予定でしたがその後延長され、現在第58次南極地域観測隊が活動中です。

 

 

我もまた、南極に行って活動してみたい!という方は、現在第60次南極地域観測隊の隊員候補者を募集しています。記念すべき60回目の南極観測隊の隊員になりたい方は、以下にリンクを貼っておきますのでどうぞ御覧下さい!

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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