12月10日 <「天国に結ぶ恋」若い2人の天城山心中(1957年=昭和32)>

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60年前のこの日、元満州国皇帝の溥儀の弟、溥傑の娘の愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい。19歳)と学習院大学級友の大久保武道(20歳)とが、天城山中でピストル心中をして世を去っているのが発見されました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1957年(昭和32)12月4日の夕方、若い2人の男女が伊豆の修善寺駅から2人をタクシーに乗りました。

男性客:「天城山トンネルまで行ってくれ」

と行き先を告げられた運転手は車を出し、天城山に向かいます。後ろの席で

女性客:「帰りましょう、ねえ、帰りましょう」「今なら、まだ間に合うから、帰りましょう」

と言い続けるのを運転手は聞いていました。午後5時頃、目的地に着き下車した2人に、運転手は

運転手:「待っていましょうか?」

と声をかけました。すると

男性客:「この辺りはよく知ってるから」

女性客:「ああ!こんな時間!」

と若い2人の男女は八丁池に通じる道を登っていったそうです。

 

この2人、かたや元旧満州国皇帝の愛新覚羅溥儀の弟である愛新覚羅溥傑の長女の愛新覚羅慧生と、学習院大学で同級生の大久保武道とでした。慧生は溥儀の姪にあたりました。

 

不審に思ったタクシーの運転手は、その後湯ヶ島の警察に、「心中でもする気ではないか…」通報しています。

 

 

警察や仲間たちの懸命の捜索、無事であって欲しいとの願いも虚しく、同年のこの日、天城山頂トンネル入り口から八丁池へ登るコースを登った標高900mの雑木林の中、山道から20mほど入った窪地で地元消防団員が2人の遺体を発見しました。

慧生は頭部を縦断で撃ち抜かれており、その後、大久保が自殺したものでした。

 

慧生の実家の嵯峨家では2人の交際を認めておらず、事件は無理心中であると主張し、一方の、大久保家は2人は合意の上での情死と考えていました。このように、2人の心中については見方が分かれていますが、慧生は友人に

「嵯峨公爵家から嫁いだ母のように、他人の意思に動かされて結婚したくない…」

と話していたそうです。その後もマスコミを賑わせたこの心中は、翌1958年(昭和33)に「天城心中 天国に結ぶ恋」という題で映画化され、悲劇の純愛物語として人々の心に残る事件だったのでした。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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