1931年(昭和6)のこの日、浅草に新しい劇場、浅草オペラ館が開場しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
昭和恐慌による不景気と満州事変の重苦しい雰囲気のなかで、1931年(昭和6)のこの日、浅草に新しい劇場、浅草オペラ館が開場しました。
この浅草オペラは、大正期に流行った大衆的な娯楽性の強い歌劇です。
1916年(大正5)帝国劇場歌劇部が解散したのち、過激俳優たちが東京浅草六区の興行街で多くの劇団を組織し、喜歌劇や音楽劇を上演し圧倒的な人気を誇っていましたが、関東大震災で衰退してしまいました。
その浅草オペラの名を関する劇場が開場し、エノケンこと榎本健一が、中村是好(なかむらぜこう)・二村定一(ふたむらていいち)ら劇団ピエル・ブリリアントを率いて旗揚げ公演を行いました。
この月の末に新宿で開場したムーラン・ルージュとともに、軽いタッチ、新しいセンスのナンセンスコメディが売り物で、社会風刺の利いた演目が人々に受け入れられ、あっという間に大人気を博しました。
当時、浅草六区は大衆娯楽のメッカでしたが、エノケン一座は、ターキーこと水の江瀧子をトップスターにもつ松竹少女歌劇団とともに、この六区の人気を二分しました。
この浅草オペラ館は、1944年(昭和19)3月31日の公演をもって強制的に取り壊され、更地となってしまいました。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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