12月27日 <源頼朝、落馬する(1198年=建久9)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1198年(建久9)の今日、源頼朝は相模川で催された橋供養からの帰路に落馬した…と伝えられています。

 

鎌倉幕府の御家人、稲毛重成(いなげしげなり)は、亡妻北条時政の女(娘のこと)の追福(ついふく:死者の冥福を祈ること)のために相模川に橋を作りました。そして、1198年(建久9)の今日、橋の完成を祝って供養が行われました。

 

源頼朝もこの橋供養に参列しましたが、その帰路に落馬し、それが原因となって病気になり、翌1199(建久10)1月13日に亡くなった、という説があります。

 

「吾妻鏡(あずまかがみ)」という歴史書があります。鎌倉幕府によって編まれた史書で、幕府の歴史を日記体で記しています。北条氏の強い影響下に成立していることもあり、北条氏の権勢を正当化するための脚色も見られますが、現在の歴史研究に必要不可欠な史料です。不思議なことに、その「吾妻鏡」に、この出来事の前後の記事(1196年1月〜1199年1月の間)がスッポリと欠けていて、頼朝が亡くなった原因は不明です。

 

この吾妻鏡の記事欠落については、完成した時は完備されていたものの、その後何らかの理由で散逸したか、それとも最初から書かれなかったのかも定かではありません。

 

頼朝が落馬した理由も

  • 平氏一門、源義経、源行家らの亡霊の祟り説
  • 家臣の暗殺説

などもあります。落馬の際の脳出血による…とする医学史家富士川游(ふじかわゆう)氏の説も有力だといえますが、落馬後、亡くなるまでの日数が長すぎるとの批判もあるようです。

 

何れにしても、この落馬した…という出来事を含めて、深い霧のなかにある事で、現時点では定説とされるものはありません。

 

今日はここまでです。

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