78年前のこの日、第75回帝国議会衆議院本会議において代表質問に立った立憲民政党の斎藤隆夫は日中戦争の処理方針をとりあげ戦争指導について政府&軍部を厳しく批判しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
これは「反軍演説問題」と呼ばれる出来事で、1940年(昭和15)のこの日、衆議院本会議において代表質問に立った立憲民政党の斎藤隆夫が日中戦争の処理方針をとりあげ戦争指導について政府&軍部を厳しく批判したことに端を発しました。
斎藤隆夫議員の質問の要旨がWikipediaにまとまっているので引用します。
- 第一は、近衛声明なるものは事変処理の最善を尽したるものであるかどうか
- 第二は、いわゆる東亜新秩序建設の内容は如何なるものであるか
- 第三は、世界における戦争の歴史に徴し、東洋の平和より延(ひ)いて世界の平和が得らるべきものであるか
- 第四は、近く現われんとする支那新政権に対する数種の疑問
- 第五は、事変以来政府の責任を論じて現内閣に対する警告等
(Wikipedia「反軍演説」から引用)
斎藤はこの質問のなかで、政府・軍部の日中戦争の処理方針を
「聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却」
するものであると批判しました。
演説直後、陸相の畑俊六は「なかなかうまいことを言うもんだな」と感心していたそうなんですが、軍部からは、この演説を「聖戦を冒瀆するもの」として猛烈な反発があり、斎藤の議員除名を要求しました。
一部の議員とともに国民の間では斎藤支持の声は強かったのですが、その当時は、軍部の政治的発言力の高まりと反比例して、政党の発言力が弱まっていたこともあり、結果的に斎藤は、懲罰委員会に掛けられ、同年3月7日に除名されてしまいました。その時の懲罰に対する投票は
- 賛成:296票
- 空票:144票
- 反対:7票
というもので、政党自身も軍部と協力して力を保とうとしていた事が伺え、まさに政党自体が議会制民主主義を破壊したと言わざるを得ない状況だったのです。この状況が、その後の大政翼賛会への動きを生み出したとも言えるでしょう。
下の画像は、その斎藤隆夫議員の写真です。例によってWikipediaから無断借用してきたものです。写真とその下の青文字をクリックするとWikipediaの大きな写真が見られます。
斎藤は、除名されたあと詠んだ有名な漢詩があります。
吾言即是万人声 (吾が言は、即ち是れ万人の声)
褒貶毀誉委世評 (褒貶毀誉〈ほうへんきよ〉は、世評に委す)
請看百年青史上 (請う百年青史の上を看ることを)
正邪曲直自分明 (正邪曲直、自ずから分明)
これだけの心意気のある政治家が、今の世にも欲しいものです。
最後に、この反軍演説を行った際の、斎藤隆夫議員夫妻のエピソードがあるので、以下にご紹介しますね。
斎藤は反軍演説の練習を鎌倉の海岸で何度も行い、そのためによく声をからしていた。これを心配した斎藤の妻乙女は、海岸へ練習をしに行く斎藤に手製のキャラメルを持たせた。この甲斐あって斎藤は以後、声をからすことなく練習に没頭でき、最終的には演説全文を暗記するまでになった。もちろん当日も原稿を見ることなく演説を果たした。
(Wikipedia「反軍演説」から引用)
素敵な奥様ですねぇ。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
- 2017年記事:
今日はここまでです。
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