1968年(昭和43)のこの日、静岡県の寸又峡温泉でライフルとダイナマイトとで武装した殺人犯・金嬉老(きんきろう)が泊り客などを人質に立てこもる事件が発生しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1968年(昭和43)2月20日、静岡県清水市(現・静岡市清水区)内のクラブで、借金のゴタゴタから暴力団員を射殺した在日韓国人二世の金嬉老(権禧老(クォン・ヒロ))は、ライフル銃とダイナマイトを所持したまま、逃亡しました。
その翌日である同年のこの日、金は同県榛原郡本川根町(現・川根本町)寸又峡温泉の旅館「ふじみや」に13人(経営者と宿泊客)を人質にとって立て篭もりました。
逮捕は難航し、4日間にわたって籠城した金でしたが、同月24日に報道関係者に変装した静岡県警察の捜査員と記者らによって取り押さえられ逮捕されました。
その籠城の間、金は自己顕示欲にかられた異常な行動を行い、記者やテレビに向かってしきりにアピールを繰り返し話題となりました。その金の行動というのは、在日韓国人や朝鮮人に対する日本人の差別に対する怒りに拠るもので、その点がマスコミによって連日報道されました。そうした事から、この事件は殺人・監禁・爆発物取締罰則違反などの犯罪であるにも関わらず、在日韓国人・朝鮮人問題を問う性格を強めたとも言えましょう。
また、金の本国である韓国でもこの事件は大々的に報道され、金は殺人及び監禁犯であるにも拘らず「差別と戦った民族の英雄」として祭り上げられたそうです(出典:Wikipedia「金嬉老事件」)。
1972年(昭和47)6月、静岡地裁は被告人金に対し無期懲役の判決を下し、最高裁まで争われましたが、高裁は控訴棄却、最高裁は上訴棄却し、1975年(昭和50)11月に無期懲役が確定しました。
その後、金は1999年(平成11)に二度と日本に入国しないことなどを条件に仮釈放され、韓国に強制送還されています。しして、韓国政府から助力を得て、釜山にて新生活を始めた金でしたが、1年も経たないうちに再び犯罪を犯し、逮捕〜服役しており、2010年(平成22)に病没しています。
以下に貼り付けたのはYoiTubeに登録されている金嬉老事件の動画です。
2.他の年、この日の記事
他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
- 2017年記事:<安徳天皇が即位(1180年=治承4)>
今日はここまでです。
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