5月20日 <博愛社、日本赤十字社と改称(1887年=明治20)>

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1887年(明治20)のこの日、博愛社は、その前年に日本がジュネーブ条約に調印したことを受け、日本赤十字社と改称しました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

日本赤十字社は、通称では日赤と呼ばれ、その発祥は1877年(明治10)に遡ります。

1877年(明治10)の西南戦争に際して、傷病兵の平等介護のために佐野常民(さのつねたみ)・大給恒(おぎゅうゆずる)・桜井忠興(さくらいただおき)らが設立したた博愛社(はくあいしゃ)です。

その経緯、官僚らと佐野常民らのやり取りについてWikipediaから引用します。

佐野らは、戦争の悲惨な状況が拡大していることに鑑みて、陸軍省に、敵味方の区別なく救護を行う赤十字の精神を発現する博愛社として、救護班を派遣することを願い出た。しかし、陸軍卿代行の西郷従道は、内戦は国家間戦争とは異なり、逆賊=犯罪者の救護は赤十字の救護とは言えないのではないかと、その精神に理解を示せず、設立を許可しなかった。そこで、佐野らは元老院議長で征討総督の有栖川宮熾仁親王に直接、設立と救護班の派遣を願い出る。逆徒であるが天皇の臣民である敵方をも救護するその博愛の精神を熾仁親王は嘉し、中央に諮る事なく設立を認可した。ただ敵味方ともに助けるというその思想が一般兵士にまでは理解されず、双方から攻撃もしくは妨害などを受け死者が出たと言われている。

(Wikipedia「日本赤十字社」から引用)

 

その後、この博愛社は国際赤十字の精神に則って活動して、1886年(明治19)に日本がジュネーブ条約に調印したことを受け、政府の方針で翌1887年(明治20)のこの日、日本赤十字社と改称しました。

晴れて、赤十字と認定されたワケです。

 

第2次世界大戦中、この日本赤十字社は陸・海軍の戦時衛生勤務を助けることを任務とし、陸・海軍大臣の監督下におかれ、軍事的性格のものとされましたが、終戦後は再び

赤十字の理想とする人道的任務を達成する

ことを目的とした活動を行っています。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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