1893年(明治26)のこの日、戦時大本営条例が公布されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
大本営とは、対外戦争を遂行するために陸海軍首脳などが天皇の幕僚として参加した最高統帥機関です。あるいは、その会議の事を指す場合もあります。
この大本営は1893年(明治26)のこの日に公布された戦時大本営条例によって法制化されたもので、陸海軍の作戦の計画は参謀総長の任とする、と規定されています。この参謀総長は
Wikisourceに戦時大本営条例が収録されているので、以下のそのリンクを貼り付けておきますね。
この大本営の会議「大本営会議」は天皇陛下ご臨席を仰ぎ、陸海軍の以下のメンバーで構成されていました。
- 統帥部長(参謀総長・軍令部総長)
- 次長(参謀次長・軍令部次長)
- 第一部長(作戦部長)
- 作戦課長
軍人であり閣僚でもある陸・海軍大臣は、軍政との関連で列席できましたが、発言権はありませんでした。
また、大元帥であられる天皇陛下は、ご臨席はされていてもご発言なさらないのが慣例であったそうです。
Wikipediaに大本営会議の写真があります。緊迫感の漂う空気が感じられる良い写真だと思います。例によってWikipediaからの無断転載です。写真またはその下の青文字からWikipediaの大きな写真がご覧頂けます。
<昭和天皇御前の大本営会議(1943年4月29日付朝日新聞)>
大本営発表、という言葉があります。太平洋戦争において、大本営が行った戦況の公式発表なんですが、始めの頃は作戦も比較的上手く遂行されていたので、割合正確な発表が行われていました。ところが…雲行きが怪しくなってくると、途端に戦果の水増しに始まり、その後は虚偽発表が常態化するに到りました。
現在でも、良くこの大本営発表という表現が使われますが、権力者による信用できない情報の事を暗喩する言葉です。
まぁ、安倍政権の発表するものが自らに都合がいいばかりで、全く信用できないのですよ…なんて書くことは蛇足と言うのでしょうね。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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