1928年(昭和3)のこの日、田中義一内閣は、第55回臨時議会で審議未了をなった治安維持法改正案を、閣内の反対をおしきり緊急勅令で公布しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1925年(大正14)3月、加藤高明内閣のもとで普通選挙案を盛り込んだ衆議院議員選挙法改正案が両院を通過し成立しました。
また、同月、この普通選挙法とともに治安維持法も成立しています。この治安維持法成立の時のことは拙blogの別記事に書いていますので、どうぞご笑覧下さい。
→3月7日 <治安維持法、衆議院で可決(1925年=大正14)>
その記事で、以下の様に書いています。
治安維持法(ちあんいじほう)は、国体や私有財産制度を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律でした。これは、第一次世界大戦後の全世界的社会主義運動の激化に対応したもので、とりわけ普通選挙の実施(同年3月に普通選挙法案が成立)や、同年1月の日ソ国交樹立の結果として、活発化が予想される無政府主義や共産主義活動を取り締まり安寧秩序維持ために制定された、特別罰則法規でした。
さて、今回の記事は普通選挙法と治安維持法が成立してから初めて迎えた衆議院議員選挙の後の話です。
1928年(昭和3)2月に実施された最初の普通選挙では、無産政党各派から合わせて8人の候補者が当選し、衆議院に議席を確保しました。
この選挙で共産党系のかつづが目立ったため、これを警戒した田中義一内閣は同年3月に治安維持法を適用して、共産党系の活動家や同調者を大量に検挙したのです。3.15事件(さんいちごじけん)と呼ばれる出来事です。当時の共産党の党員数は409人だったですが、この時に検挙された人数は何と1,568人でした。
翌4月には、労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟の3団体を解散させ、左翼運動の根絶を図りました。
そして、1928年(昭和3)のこの日、第55回臨時議会で審議未了をなった治安維持法改正案を、田中義一内閣は閣内の反対をおしきり緊急勅令で公布しました。国体変革を目的とする結社行為に対しての刑罰に死刑・無期懲役刑を追加するものでした。
それと同時に、結社加入を問題とするだけでなく「為ニスル行為」をも取締の対象とし、犯罪の構成要件を拡大しました。
この緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」についてはWikisourceにその法文が掲載されていますので御覧ください。
緊急勅令によって公布された治安維持法改正案は、一部議員からの強い反対にもかかわらず、次の議会で承認されました。
こうして、思想の取締と社会運動弾圧体制が徐々に強化されていった、そんな出来事でした。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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