1891年(明治24)のこの日、東京府下小笠原島の南南西沖に散在する3つの島を小笠原島の所属とし、中央の島を硫黄島、南にある島を南硫黄島、北にある島を北硫黄島と称する勅令が公布されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
硫黄島(いおうとう)は、小笠原諸島の南端近くにある東西8 km、南北4 kmの島です。その硫黄島は、東京都区部(東京23区)からは、南方におよそ1,200 kmに位置し、これはなんと沖縄より南、台湾と同じような緯度なんですよ。
硫黄島の緯度を他の場所と比較してみましょう。
- 東京:北緯35.41
- 名古屋:北緯35.10
- 大阪:北緯34.41
- 福岡:北緯33.35
- 鹿児島:北緯31.35
- 那覇:北緯26.12
- 台北(台湾):北緯25.02
- 台南(台湾):北緯23.14
- 硫黄島:北緯24.45
台湾の台北と台南との間あたりですねぇ。ちなみに緯度の1度は距離にすると111kmだそうです。
その硫黄島、現在の行政区分上は東京都小笠原村に属します。Wikipediaに硫黄島の航空写真があったので例の如く無断拝借してきました。画像またはその下の青文字をクリックするとWikipediaの大きな画像がみられます。
<硫黄島航空写真>
(Wikipedia「硫黄島(東京都)」から無断拝借)
さて、この硫黄島ですが、1891年(明治24)のこの日、東京府下小笠原島の南南西沖に散在する3つの島を小笠原島の所属とし、中央の島を硫黄島、南にある島を南硫黄島、北にある島を北硫黄島と称する勅令が、総理大臣松方正義、内務大臣品川弥二郎の名で公布されました。
世界史の中でこの硫黄島が初めてでてくるのは16世紀のことで
- 1543年、ベルナルド・デ・ラ・トーレ船長のスペイン船サン・ファン・デ・レトラン(San Juan de Letran)が発見した。
- 1779年にはジェームズ・クックの部下ジョン・ゴアの率いるレゾリューションとディスカヴァリーが附近を航行し、サルファーアイランドと命名された。
(Wikipedia「硫黄島(東京都)から引用)
で、日本が関係してくるのは明治時代に入ってからです。
- 1887年(明治20年)、横尾東作・東京府知事高崎五六らが明治丸で探査を行った。
- 1889年(明治22年)6月、父島の住民田中栄次郎が、父島で建造した帆船南洋丸にて十余名とともに、鮫漁と硫黄採取を目的として入植し、硫黄島の開拓が開始された。記録に残る初めての日本人の入植。
- 1891年(明治24年)9月9日、勅令により日本領土に編入。島名を「硫黄島」とし、東京府小笠原島庁所属とする。
(Wikipedia「硫黄島(東京都)」から引用)
第2次世界大戦後、アメリカに接収されましたが、1968年(昭和43)6月26日に小笠原諸島と共に日本に返還され、現在に至っています。
復帰後の硫黄島は全域が、海上自衛隊管理の硫黄島航空基地の敷地とされており、そのため原則として基地に勤務する自衛隊員以外は島に立ち入ることが禁止されています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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