1月1日 <昭和天皇の人間宣言(1946年=昭和21)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1946年(昭和21)の今日、昭和天皇が「人間宣言」の詔書をお出しになられました。

 

その詔書には

「(略)長キニ国レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレパ集三流レ、 失意ノ淵ニ沈論セントスルノ傾キアリ(略)脱ハ爾等国民ト共ニ在リ(略)天皇ヲ以 尹罪御雜下x、且日本國民多以方他~民族三優越七小民族三x方、延子世界多支配又 べキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ(略)」

と書かれています。

 

この詔書により、明治以来臣民たる国民のなかに刷り込まれてきた「天皇は現人神である」という架空の衣を天皇ご自身でお脱ぎ捨てになられたのでした。

 

第二次世界大戦後の、日本の民主化政策は様々な方面に波及していきました。1945年(昭和20)年12月、皇族梨本宮守正(なしもとのみやのりまさ)や内大臣木戸幸一(きどこういち)に逮捕命令が出され、内外では昭和天皇の戦争責任問題が取り上げられるようになってくると、天皇周辺や政府は、総司令部やアメリカ政府の意向を知ろうと努めるようになりました。日本政府の意向は「国体護持」にあったのです。

一方、総司令部やアメリカは、天皇制を廃止した場合に予想される収拾し難い混乱を避ける為に、むしろ占領管理には天皇制を利用すべきと考えていました。このような双方の思惑のうえに出されたのが、この人間宣言でした。

 

この原文は英文で、執筆は総理大臣幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)・文部大臣前田多門(まえだたもん)の手になるものでした。もちろん総司令部の内意を受けていましたが、陰に英国人で学習院英語教師のレジナルド・プライス、石渡荘太郎宮内大臣、吉田茂外相、総司令部民間情報教育局長ケネス・ダイク、同局顧問ハロルド・ヘンダーソンらの手が加わりました。総司令部の意向は、神道の核心である天皇の「神格」の否定と、日本人のもつ「世界に冠たる優越民族」という信念をつき崩したい意図がありました。

 

また、この詔書には、昭和天皇御自らの強いご希望により加筆されたという、5ヶ条の誓文の文言が引かれています。それは、明治天皇が本来目指された良き立憲国家の伝統を、昭和天皇が戦後に引き継ぐものである、と考えられています。

 

後年、1977年(昭和52)に昭和天皇は

「あの認書の目的では神格化否定は二の次の問題だっ た」

とのご発言も残しておられますが、当時の国民にとっては驚天動地のショッキングな語書だったでしょう。ただ食糧難や産業の停滞という暗い世相や、その後に続く公職追放やその他の混乱が予想される事態を考慮し、天皇御自らが「私はもはや神では ない。国民と一緒に復興にがんばろう」といった事をお述べになられた事実は、占領政策のスムーズな実施への影響は大きいものでした。

 

終戦のときの侍従長藤田尚徳(ふじたひさのり)は回顧録の中で、

「認書は天皇自身の平素のお心がまえをそのまま文字にしたようなものと感じた」

と書いているが、原文が「英文だけに語書の形にはめにくくて和訳には苦心した」そうです。

 

内容的には総司令部の意向が強く映しだされたものですが、天皇陛下御自らが「朕ハ爾等国民ト共ニ在リ」とお述べになられたことは、当時の日本国民にどれだけ大きな精神的な支柱となったか、小生には想像が付きません。戦後日本の発展のスタートに天皇陛下のお言葉があったのです。様々な方たちのご苦労で、この史実が後世に燦然と輝く光を持ち得た、そう思える素晴らしい出来事であった様に思います。

 

 

今日はここまでです。

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