10月 出来事

10月30日 <教育勅語が発布されました (1890年=明治23)>

2018/10/30

1890年(明治23)のこの日、第二次世界大戦以前(正確に言えば、第二次世界大戦後の教育改革以前)の日本の教育理念の指針とされた教育に関する勅語(教育勅語)が発布されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1890年(明治23)のこの日、第二次世界大戦以前(正確に言えば、第二次世界大戦後の教育改革以前)の日本の教育理念の指針とされた教育に関する勅語(教育勅語)が発布されました。

 

その原文を、当時の官報から以下に転記します。読みにくい部分には小生がひらがなを付けました。

朕惟(ちんおも)フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ。我カ臣民克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世世厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス。爾(なんじ)臣民、父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ。是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス、又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン。斯ノ道ハ實(じつ)ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所、之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス。之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス、朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日

御名御璽

(官報より引用、ふりがなは小生追記)

 

内容は、天皇の徳化と臣民の忠誠からなる国体の観念に教育の淵源を求め、忠孝を中核とした臣民の実践すべき徳目を列記し、その普遍性を強調し、遵守を求めている…というものです。儒教的な家族主義の道徳と近代的国家主義に基づく愛国の理念とを基礎に、「忠君愛国」「忠孝一致」を教育の基本として強調しています。これによって、天皇は単なる政治的な主権者であるだけでなく、国民の道徳的・思想的な中心とされました。

 

この勅語が作られたきっかけは、1890年(明治23)2月の地方長官会議の建議で、従来の啓蒙主義的な教育政策を批判し、天皇直裁による教育方針の確立を求めたことにあります。

 

そこで、この勅語の草案は、初めは教育家で女子高等師範学校長であった中村正直(なかむらまさなお)が作りましたが、内容がキリスト教的であるというので、当時の内閣法制局長官であった、井上毅(いのうえこわし)が原案を作り直し、そこに儒学者の元田永孚(もとだながざね)の意見も加えて修正し、起草されました。そして、大臣の福署を伴わない天皇ご自身のお言葉という形式をとったこともあり、全ての法律より上にある絶対的な性格を有していました。

 

教育勅語は、文部省より全国の学校に謄本が配布され、学校の儀式などで奉読された(全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げた)ほか、修身科をはじめ諸教科も勅語の精神に基づいたものとなり、ひろく国民に国体観念を植え付ける力の源となったのです。いわば天皇を中心とした国家体制を精神内面からささえる大きな役割を果たしたといえましょう。学校の儀式とは、四大節(紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(11月3日)、元旦(四方節)(1月1日))と呼ばれた祝祭日には、学校で行われた儀式のことです。そうした祝祭日だけでなく、あらゆる式典の場で「奉読」という形で国民の心に刷り込み、普及させたのです

 

第二次世界大戦後、憲法・教育基本法の成立により、教育勅語は根拠を失い、1948年(昭和23)6月、国会議決において失効・排除が確認されました。

 

この教育勅語に関しては内村鑑三の不敬事件という出来事がありますが、それはまた別項で。予定では1月9日です。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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