11月16日 <徳島藩領で藍専売制反対一揆起こる(1756年=宝暦6)>

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261年前のこの日、藩の藍専売制に苦しめられていた徳島藩領の藍生産農民と藍玉生産者たちは、密かに計画していた、この専売制に反対する一揆の示威行動として各地で集会を行ったり鐘・太鼓を打ち鳴らしたりしました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

本日ご紹介する出来事は「五社宮騒動」とか「阿波藍騒動」と呼ばれています。

一言で言ってしまえば、「1756年(宝暦6)に起こった阿波国徳島藩領の強訴未遂」です。

ことの発端は、その2年前に1754年(宝暦4)に藍玉株制度が設置されたことにあります。

 

同年11月初旬、阿波国名西郡高原村の五人組常右衛門ほか4人により、藍作税の過酷を訴え、蜂起を促す廻文が3通作られ村の寺を中継拠点として3経路から麻植・名西・名東・板野の4郡に流されました。1通は麻植郡三ッ島村連光寺の内通により途中ストップしたものの、残りの2通は厳しい追求を受けたものの何とか廻文に成功しました。

村々の間では「廻文があり次第準備を整える」ことが約束されており、1756年(宝暦6)のこの日、農民たちは各地で集会や梵鐘・太鼓による示威行動を行いました。

 

藩当局は3人以上の会合を徒党とみなすとしてこれを弾圧したほか、徹底的な検束主義をとり、同月28日までに指導者の5人を含め、約10人を逮捕しました。この検挙により4郡一斉蜂起は決行日を前に頓挫してしまったのでした。

この一揆の指導者常右衛門が村役人であったことなどから、広範囲の百姓たちが結集する、いわゆる惣百姓一揆の形態をとっていたのですが、指導者の嫌疑をうけて入牢したものの中には藍商でもあった高原村前庄屋伊右衛門なども含まれているのです。藍という商品から、一揆の構成員をみたとき

  • 商人的機能&生産者的機能をもつ大藍師
  • 藍玉生産者の小藍師
  • 葉シの農耕に従事する藍作人

という本来ならば対立する三者が共同戦線を敷いていました。これは、藩の藍専売制度による収奪がよほど酷かったためと考えられています。

 

翌1757年(宝暦7)、5人の指導者は磔の極刑に、その家族も郡外追放に処せられましたが、藩も専売制を後退させる大きな変革が起こりました。

農民たちにより、1781年(天明元)にこの指導者5人を義民として祀る五社神社が建立され、藍作りの神として信仰されました。そうしたことから冒頭にも書いたように、この一揆は五社宮騒動とも呼ばれているのです。

その名を残す五社神社は、今も名西郡石井町にあります。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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