11月16日 <日本初の官立幼稚園が開園し保育開始(1876年=明治9)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1876年(明治9)の今日、東京女子師範学校付属幼稚園(現在・お茶の水女子大学付属幼稚園)が神田宮本町八番地(現・東京都千代田区外神田二丁目)に、日本初の官立幼稚園として開園しました。

 

これが、わが国における近代的な幼稚園の始まりでした。保育スタッフとして教育に当たったのは以下のメンバーだったそうです。

  • 監事  :関信三(せきしんぞう)
  • 主任保母:松野クララ
  • 保母  :豊田芙雄(とよだふゆ)
  • 保母  :近藤濱(こんどうはま)

 

郵便報知新聞によれば、11月14日に、文部大輔(もんぶたゆう:文部次官のこと)田中不二麻呂(たなかふじまろ)の名で認可になった事が報じられています。この新設の幼稚園には華族・高級官僚・金持ちの子女50〜60人が入園し、殆どが馬車に乗ってお供連れで通園したそうです。

 

監事とは園長のことで、この初代監事の関信三氏は、もと東本願寺の僧侶であったそうですが、1872年(明治5)に渡欧し、帰国後は1875年(明治8)東京女子師範学校英語教師、1876年(明治9)〜1879年(明治12)同付属幼稚園初代監事を勤めています。理論・実践両面から幼稚園教育の基礎を築いた功労者といえましょう。

 

また、主任保母の松野クララはClara Louise Zitelmannというベルリン生まれのドイツ人女性で、松野礀(まつのはざま)氏と結婚して松野クララとなりました。日本人男性とドイツ人女性との国政結婚第1号でした。幼稚園の元祖はドイツにあり、クララもフリードリヒ・フレーベルが創設した保母学校で保育学を学び、東京女子師範学校付属幼稚園で身につけたその教育法を試みて各方面から注目されましたが、「ドイツ幼稚園の模倣だ」という批判は免れなかったそうです。本格的な幼稚園教育は、確立されるまでに、その後まだまだ時間を要したのでした。クララがフレーベルの教授法を初めて日本に導入した、という功績は紛れもない事実です。

 

 

この付属幼稚園が開園して2年目の1877年(明治10)11月27日には、皇太后陛下と皇后陛下とが御見学なされました。お二人は、教室や遊戯室をご覧になり、文部大輔の田中不二麻呂の説明をお聞きになられたあと、皇后陛下からは以下のお言葉がありました。

「人の身を保ち、智を増さんは、稚き(わかき)時の育て方にあれば、この園の業もいと難かる(かたかる)べきを……その身の健(すこやか)にして、その智の開けゆかん効(しるし)まで、まのあたりに知られたるは、まことに喜ばしき事なり」

(1877年(明治10)11月28日付「東京日日新聞」より)

 

この御見学をきっかけに、幼稚園ブームがおこり、公・私立の幼稚園が多く設立された、ということです。

 

最初にも書きましたが、この東京女子師範学校付属幼稚園は、現在のお茶の水女子大学付属幼稚園ですが、Wikipediaに面白い記事がありましたので、以下にご紹介申し上げます。

お茶の水女子大学やその付属校では、附属幼稚園から附属高校まで内部進学で上がり、その上でさらにお茶の水女子大学を卒業した者を「お茶漬け」と称することがあった。

(Wikipedia「お茶の水女子大学附属幼稚園」より引用)

小生は今日、「お茶漬け」の新たな用法を知りました。

 

今日はここまでです。

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