11月2日 <「読売新聞」創刊(1874年=明治7)>

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143年前のこの日、子安峻(こやすたかし)らによって「読売新聞」が創刊されました。

これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

ジャーナリズムの先駆は、江戸時代以来、庶民の間に広まっていた読売瓦版(よみうりかわらばん)や戊辰戦争の最中に創刊された民間の「もしほ草」「中外新聞」、政府の「太政官日誌」などがありました。

読売瓦版というのは、通称「瓦版」で、江戸時代に市井のニュースを庶民に伝えた1〜2枚の印刷物でした。街頭で内容を読んで聞かせ、それで販売する読み売りされ、「読売」と称されてもいました。この形式の新聞としての最古のものは、なんと1615年(元和元)にあった大坂夏の陣を報道した「大坂安部之合戦之図」なんですよ。

 

1870年(明治3)には、日本最初の日刊新聞として「横浜毎日新聞」が発行され、1870年代には「東京日日新聞」「日進真事誌」「郵便報知新聞」「朝野新聞」などが続き、そして1874年(明治7)の今日、東京で子安峻らによって「読売新聞」が創刊されました。

先に上げた5社は、政治問題を取り上げて論評したり、政治的主張を展開したりする政論新聞(大新聞:おおしんぶん)の色彩が強かったのですが、この読売新聞の様に江戸時代の読売瓦版の伝統を受け継ぎ、社会に怒った出来事を伝える小新聞(こしんぶん)もありました。

 

総振り仮名付きの談話に近い文体と、雑報中心の紙面、そして紙名の由来である街頭での読み売りで人気を獲得し、発行部数で大新聞を一気に抜き去りました。子安らは当初から

「人々のためになることを誰にでも分かるように書く」

と考えたので、振り仮名付きで口語体だったそうです。

 

この読売新聞は、その後坪内逍遥・尾崎紅葉らが入社すると、硯友社(けんゆうしゃ)の作家が活躍するようになり文学新聞として名高くなった時期もあったのですよ。

1924年(大正13)には正力松太郎が社長に就任してから大きく発行部数を伸ばし、押しも押されもせぬ新聞社になって行きました。

御存知の通り、読売新聞は現在でも続いており、販売面でも日本最大の発行部数を誇っています。

ま、小生は読みませんけどね…

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

今日はここまでです。

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