太平洋戦争の開戦直後、1941年(昭和16)のこの日、広島県の呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)において、史上最大の戦艦大和が竣工しました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
大和は、日本海軍の戦艦でした。海軍軍縮会議から脱退し、その海軍軍縮条約の制限から離脱した日本海軍は、従来の条約型戦艦を凌駕する戦艦の建造を計画しました。その当時の日本の最高技術を結集して建造された大和は
- 全長:263m(折れ曲がったウイング部を除いた東京駅の駅舎が全長270mでした。)
- 全幅:38.9m
- 排水量:6.9万トン
- 速力:27.46ノット
- 航続距離:7,200海里(速力16ノット時。メートル法換算で13,334km)
- 主砲:46cm砲9門
といった仕様で、戦艦としては史上最大の排水量と、これまた史上最大の46cm主砲9門を備えた大艦巨砲主義時代の最後を飾る大戦艦でした。この艦名は、奈良県の旧国名の大和国に由来するものです。
大和は、1941年の今日、竣工&就役し、翌1942年2月には連合艦隊の旗艦となりました(旗艦の任務は翌1943年に同型艦の武蔵に移譲)。1945年(昭和20)4月、沖縄に向かう途中、アメリカ軍機の猛攻撃を受け、鹿児島県の坊ノ岬沖であえなく撃沈されました。
写真はWikipediaから引っ張ってきたもので、豊後水道を進む戦艦大和の写真です。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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