119年前のこの日、上野に作られた西郷隆盛の銅像が出来、隆盛の姪が除幕のロープを引きました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
岡倉天心や、吉井友実を始めとする薩摩藩出身者が中心となって建設計画を進めた西郷隆盛の銅像が、東京都台東区上野の上野公園に出来、1898年(明治31)のこの日、除幕式を迎えました。序幕のロープを引いたのは、隆盛の姪でした。
この有名な西郷隆盛像、作ったのは高村光雲(連れている犬は後藤貞行作)で、鋳造は岡崎雪聲(おかざきせっせい)が行いました。
西南の役を起こし、一時は逆徒として扱われた隆盛でしたが、1889年(明治22)大日本帝国憲法発布に伴う大赦によって名誉を回復しました。それがきっかけとなり、建設計画が持ち上がり、宮内省より500円を下賜され、さらに全国2万5千人余からの寄付金によって建立されたものでした。
像は身長370.1cmもある巨大なものですが、その銅像を作るにあたって、隆盛自身の信頼性のある写真が一枚も残っていなかったので、とて苦労したようです。
除幕式には、山県有朋(やまがたありとも)、西郷従道(さいごうつぐみち)、大山巌(おおやまいわお)や隆盛の夫人糸子らが出席し、江戸無血開城を成功させた故人をしのびました。
その際に、隆盛夫人はとても面白いことを言った…とWikipediaにあるのでご紹介しましょう。
公開の際に招かれた西郷夫人糸子は
「宿んしはこげんお人じゃなかったこてえ
(うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ)」
と腰を抜かし、また
「浴衣姿で散歩なんてしなかった」
といった意の言葉(薩摩弁)を漏らし、周囲の人に窘(たしなめ)められたという。
(Wikipedia「西郷隆盛像」から引用)
その、姿の信憑性はさておいて、「上野の西郷さん」と呼ばれて100年以上も東京の名所の一つとして国民に親しまれてきた、西郷隆盛の銅像の除幕式が行われた、という話でした。
以下に、Wikipediaから無断借用してきた上野恩賜公園の西郷隆盛像の写真を貼り付けておきますね。写真或いはその下の青文字をクリックして頂きますと、Wikipediaの大きな写真が見られます。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
- 2016年記事:<日本の国際連合加盟が実現(1956年=昭和31)>
今日はここまでです。
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