385年前のこの日、柳生宗矩ら4名が惣目付(総目付)に任ぜられました。これが大目付の創始にあたる、とされています。
これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
大目付は江戸幕府の職名です。
1632年(寛永9)のこの日、大坂町奉行兼堺奉行水野守信、目付秋山正重、同井上政重おゆび柳生宗矩の4名が惣目付(総目付)に任じられました。これが大目付の創始にあたるとされています。
はじめは、大名や旗本に限らず幕法にそむく者や幕府に謀反を企む者の調査報告、老中以下諸役人の監察などが職務内容として申し渡されました。
江戸時代も中期になると幕府の職制も整備され、麦飯関係が安定していくと大目付の職務内容も変化していきました。各藩への法令伝達や江戸城内における大名の席次・礼法を司る式部官的な傾向が強くなり、名誉職・閑職とみなされるようになっていきました。服忌令改・分限帳改・指物帳改・鉄砲改・宗門改・御日記改などの職務を分担するほか、道中奉行を兼帯(兼務のこと)しました。
定員は4〜5人でしたが、幕末の混乱期には10名もいたことがあります。道中奉行を兼帯する大目付は5人の中では筆頭格でした。1662年(寛文2)以降、老中の配下に置かれるようになりました。
ちなみに、「大」の字が付かない目付という役職もあり、大目付は目付けよりも上位職なんですが、目付けは若年寄の配下なんですね。
配属先が違うけど上位職というのは今にしてみれば少し変な感じではありますね。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
- 2016年記事:<婦人参政権が認められる(1945年=昭和20)>
今日はここまでです。
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