3月23日 <足利義満、花の御所へ移る(1378年=永和4)>

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1378年(永和4)のこの日、足利義満は三条坊門の邸から、新しく建造していた花の御所に移りました。

これは室町時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

花の御所は、足利義満が京都に建てた将軍邸で、室町殿・花亭とも呼ばれました。

南は今出川通、北は上立売通、東は烏丸通、西(正面)は室町通に面する東西1町、南北2町の巨大な邸宅です。そこは、もともと室町季顕から足利義詮(あしかがよしあきら)か買い上げた花亭を、崇徳上皇の御所として献上しましたが焼失した敷地を義満が賜り、さらに菊亭家(今出川家)の邸地を合わせたものでした。

1377年(永和3)に造営を開始し、翌1378年(永和4)のこの日、元の菊亭部分の建物が完成すると、義満はそれまでの三条坊門の邸から移り住みました。その後も工事が続けられ、翌1379年(康暦元)には寝殿が作られ、1381年(永徳元)に落慶しました。

北小路通は土御門帝の内裏に近く、その規模は敷地だけでも御所の2倍にも及び、内裏を圧倒していました。

そして、正面が室町通に面していたため、上記の室町殿の名勝が生まれ、これをもって室町幕府の名称も生まれたのです。

 

その「花」の名前は、多種の名花を植たためとされてきましたが、上皇御所または室町季顕邸の通称が「花亭」であったことに由来します。

 

この花の御所ですが、その後室町幕府第8代将軍足利義政の時、1476年(文明8)11月に火災により焼失しました。

現在の同志社大学今出川校地の烏丸通を挟んで向かい側の場所にある同志社大学・寒梅館以南に位置していました。その名残としては、邸内に建てられた岡松殿に始まる大聖寺が現存します。

下に、Wikipediaにあった花の御所の画像を無断借用し貼り付けておきます。画像またはしたの文字をクリックしたらWikipediaの大きな画像を確認できます。

 

<花の御所クローズアップ図>

 

<洛中洛外図屏風・中央左下の黒っぽい屋根の大きな建物が花の御所>

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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