335年前のこの日、江戸で通称「お七火事」と呼ばれる天和の大火が発生しました。
これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
江戸時代には多くの火事が起こり、「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉があるくらいです。
ところで、この「火事と喧嘩は江戸の花」はどんな意味かと調べましたところ…
火消しの華やかな働きぶりと、江戸っ子の喧嘩は威勢がよく、江戸の見物みものである。(大辞泉)
ということなんだそうです。
江戸時代の火事、その中でも大きなものを指して「江戸10大火事」と呼んでいます。どんなものがあるか見てみましょう。
- 明暦の大火:1657年(明暦3)1月18日:江戸の大半が被災し江戸城天守も焼失、死者107,000人。
- お七火事:1682年(天和2)12 月28日:死者3,500人
- 勅額火事:1698年(元禄11)9月6日:町326・武家屋敷308・寺社232・町家1万8700を焼き、死者3,000人。
- 水戸様火事:1703年(元禄16)11月29日:武家屋敷275・寺社75・町家2万を焼く、死者数不明。
- 小石川馬場火事:1717年(亨保2)1月22日:死者100人以上か。
- 明和の大火:1772年(明和9)2月29日:町904を焼き、死者14,700人、行方不明者4,060人。目黒行人坂の火事とも。
- 桜田火事:1794年(寛政6)1月10日:麹町5丁目辺りから出火し、半蔵門前や霞ヶ関一帯を焼く、死者数不明。
- 文化の大火:1806年(文化3)3月4日:町530・大名屋敷80・寺社80を焼き、死者1,200人。
- 文政の大火:1829年(文政12)3月21日:家屋37万を焼き、死者2,800人。
- 地震火事:1855年(安政2)10月2日:この日に起きた安政江戸地震に伴う火事で、死者26,000人。
このうち、明暦の大火、明和の大火、文化の大火を江戸3大大火と言います。
さて、今日の記事のお七火事は、正式な名称を天和の大火(てんなのたいか)と言い、1682年(天和2)のこの日に発生しています。駒込大円寺から出火し、12月28日正午ごろから翌朝5時ごろまで延焼し続けた。火事では、東は浅草・本所、南は神田・日本橋まで延焼しました。大名屋敷75軒、旗本屋敷166軒、寺社95箇所、死者は最大3500名余に達しました。
この大火はお七火事とも称されます。浄瑠璃や歌舞伎では、この大火が八百屋お七の放火によるものと脚色されていますが、八百屋お七はこの火事では被害者です。
八百屋お七の話題は、いつか記事として取り上げることになるでしょうが…この天和の大火で焼け出された江郷の八百屋の一家は、檀那寺に避難していました。八百屋の娘のお七は、避難先の寺の小姓と恋仲になってしまうんですねぇ。復興が進むと、お七一家も寺から自分の家に戻ることになりますが、お七の燃える恋心は募る一方です。
もう一度火事が起きたら、また同じように寺に避難し愛しいお方に逢えるかも…と思い、その翌年、自宅に放火をしてしまいます。さいわい、火はすぐに消し止められ未遂に終わりましたが、お七は捕えられ、鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられたのでした。
これが、天和の大火がお七火事と呼ばれる経緯なのです。
2.過去年の記事
過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。
- 2016年記事:<大日本相撲協会設立(1925年=大正14)>
今日はここまでです。
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