1910年(明治43)のこの日、その前年の10月26日に前韓国統監の伊藤博文を狙撃し、亡き者にした安重根の死刑が執行されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
安重根は、韓国の独立運動家の安重根は、1909年(明治42)10月26日に、ハルビン駅頭で前韓国統監の伊藤博文を暗殺していますが、その出来事に関しては拙Blogで記事を書いていますので、どうぞご笑覧下さい。
→10月26日 <伊藤博文、ハルビン駅頭で韓国人安重根に襲われる(1909年=明治42)>
安重根は、この伊藤博文暗殺事件後すぐにロシア官憲に捕らえられ、翌1910年、旅順で裁判が行われました。その公判廷で、安重根は伊藤博文を狙う様になった理由を陳述しており、そこには第二・第三次日韓協約、韓国皇帝の廃位、軍隊の解散などを挙げ、何とその3年前(1907年(明治40))から伊藤の命を狙っていたと述べています。
韓国の義兵運動に参加していた安重根は、ウラジオストックで伊藤がハルビンに来ることを知り、1909年(明治42)10月、凶行に及びましたが、共犯者については供述していません。
旅順の関東都督府地方法院で行われた裁判は、第1回公判が1910年2月7日に始まり、5回目の公判で最終弁論となり、公判開始からちょうど一週間後の2月14日に死刑判決が言い渡されました。
そして、同年のこの日、死刑が執行されました。刑は、伊藤が暗殺された時刻に合わせて午前9時すぎに行われました。安重根は泰然自若として
「飽く迄東洋平和に御尽力ありたし」
と言い残し、黙祷ののち刑壇に上がりました。
その遺骸は、弟の安定根・安恭根が貰い受けることを願い出ましたが叶わず、当日の午後1時には旅順共同墓地内に埋葬されました。
2.他の年、この日の記事
他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
- 2017年記事:<開陽丸、横浜に到着(1867年=慶応3)>
今日はここまでです。
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