3月 出来事

3月4日 <落ち目の将軍、義兄に会うため上洛(1863年=文久3)>

2018/03/03

1863年(文久 3)のこの日、江戸幕府第14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)は約3,000人を従えて京都に入りました。

これは時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1860年(万延元)の桜田門外の変のあと、幕政の中心となった安藤信正(あんどうのぶまさ)は、こじれた朝廷との関係を修復し、それによって幕府を批判する勢力を押さえ込み、また日米修好通商条約の問題で分裂した国論を統一し幕府の権威を回復させる動きをしました。その一つが朝廷(公)と幕府(武)とが協調して政局を安定させようとする公武合体政策でした。

 

安藤信正はその政策により、1862(文久 2)年には、孝明天皇の妹である和宮(かずのみや)を14代将軍家茂(いえもち)の妻に迎えることに成功しましたが、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)との結婚が決まっていたにも関わらず降嫁させた強引な政略結婚で、尊皇攘夷論者から激しく非難されました。そしてその安藤も、同年に起こった坂下門外の変後まもなく失脚してしまいます。

 

幕府による公武合体政策は頓挫しましたが、11代将軍家斉(いえなり)の夫人が島津重豪(しまづしげひで)の子で近衛家の養女であったことなどから知られるように、朝廷・幕府の双方につながりの深い外様(とざま)の薩摩藩が、独自の公武合体策の実現に動きました。藩主の父島津久光(しまづひさみつ)は1862年(文久2)、寺田屋事件などで藩内の尊皇攘夷派をおさえつつ、勅使大原重徳(おおはらしげとみ)とともに江戸に赴き、幕政の改革を要求しました。幕府は薩摩藩の意向を受けて、松平慶永を政事総裁職に、徳川慶喜を将運後見職に任命しました。また、京都所司代などを指揮して京都の治安維持にあたる京都守護職を新設して、会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)をこれに任命し、あわせて参勤交代を3年に1回に緩和し、西洋式軍制の採用、安政の大獄以来の処罰者の赦免など、文久の改革と呼ばれる改革を行いました。

 

このように公武合体運動が幕府や雄藩藩主層を中心に進められたのと並行して、下級藩士を中心とする尊皇攘夷派の動きが激しくなっていきました。尊皇攘夷論は尊王論と攘夷論とを結びつけた後期の水戸学の思想で、藤田東湖(ふじたとうこ)・会沢安(あいざわやすし)らが中心でした。尊王論それ自体は将軍の支配の正統性を権威づけるものでしたが、対外的な危機が迫ると攘夷論と結びつき、欧米列強の圧力に屈服して、それまでの管理された対外政策を方針変更した幕府の姿勢を非難し、実践的な政治革新思想となっていったのです。

 

尊王攘夷派の中心になった長州藩は、初めは公武合体運動を推していましたが、1862年(文久2)に中下級藩士の主張する尊攘論を藩論とし、朝廷内部の尊攘派の公家とも結んで、 京都で活発に動いて政局の主導権を握りました。尊攘派が優位に立った朝廷は、しきりに攘夷の決行と鎖国への復帰を幕府に迫り、同年12月、将軍家茂は天皇の攘夷のご意志を奉承したとの文書を発行しました。

 

その文書には次の様に書いてありました。

「策略等の儀は、御委任なし下され候条、衆議を尽した上で上京し、委細申し上げる」

こうして、上京して攘夷の方法について述べなければならないことに成ってしまいました。この攘夷の動きと並行して前述の文久の改革が行われたのですが、尊攘派の気勢は上がる一方で、関白をも動かして、幕府の攘夷決行の期日を決めさせようと画策しました。

 

こうして、いよいよ将軍家茂の上洛しなければならない、という事態にどんどん追い込まれていきました。

 

はじめは、幕府の軍艦に乗って西へ進む予定でしたが、当時は生麦事件の賠償問題で、英国との関係が緊迫していたこともあり、東海道を使うことにしました。1863年(文久3)2月13日に江戸を出発した幕府の一行は老中水野忠精、同じく老中板倉勝静以下が随行し、総勢3,000人というものでした。そして同年3月4日、徳川家茂は京都に入り、二条城を宿舎としました。これは第3代将軍徳川家光以来229年ぶりとなる上洛でした。

 

この上洛は、尊王攘夷派の画策によるものでしたが、朝廷は幕府に攘夷の実施と鎖国への復帰を迫り、幕府はこれを機会に公武合体を推し進めようとそれぞれの思惑があったのです。幕府は、攘夷決行の意思を持たなかったのですが、やむを得なく攘夷を5月10日に決行すると回答せざるを得なかったという交渉結果に終わりました。

 

もう江戸幕府は終焉を迎えつつある、そんなことを印象づける上洛だったようです。

 

 

2.他の年、この日の記事

他の年のこの日には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

 

今日はここまでです。

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