1960年(昭和35)のこの日、アメリカ大統領新聞係秘書のハガチーが来日したものの、羽田空港近辺で安保闘争の労働者・学生に包囲され立ち往生してしまいました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1960年(昭和35)5月19日、新安保条約を審議中の国会で、政府与党の自民党は、会期延長および新条約・新協定・関連法案の衆議院採決を強行しました。
まず、自民党は衆議院安保特別委員会で質疑打ち切りを強行し、その後、清瀬一郎衆議院議長が警官500人を導入し、社会党議員を排除して本会議を開会。討論抜きに自民単独で法案を可決したのです。
それ以降、国会デモは激しさを増して行きました。
同年6月4日には、安保改定阻止第1次ストが行われました。このストには、何と560万人が参加しています。
この様に反対運動が高まっているさなか、1960年(昭和35)6月10日、アメリカ大統領新聞係秘書のハガチーが来日しました。その目的はアイゼンハワー米国大統領来日の下準備の為でした。
ところが、このハガチーが乗った車は羽田空港付近で労働者・全学連学生(反主流派)のデモ隊に包囲され、身動きが立ち往生してしまい、米軍海兵隊のヘリコプターによって数十分後にやっと脱出し、アメリカ大使館に逃れたのでした。
この事件を受け、アイゼンハワー大統領訪日は中止となりました。その中止は日本側からの申し入れでした。
ちなみに、この時の首相は昭和の妖怪こと岸信介です。岸信介の孫は、現在の宰相である安倍晋三です。いわば平成の妖怪なんでしょうかねぇ。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
・<廻船問屋の会津屋八右衛門、密貿易で厳罰に処せられる(1836年=天保7)>
今日はここまでです。
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