6月7日 <祇園会の山鉾巡行が復活(1500年=明応9)>

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1500年(明応9)のこの日、応仁の乱以来中絶していた祇園会の山鉾巡行が、乱の打撃から立ち直った京都の町人の力で復活しました。

これは室町時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

祇園会(ぎおんえ)は祇園祭(ぎおんまつり)・祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)とも呼ばれ、京都市東山区の祇園社(八坂神社)のお祭りです。

もとは旧暦の6月14日に行われましたが、現在は、毎年7月1日(吉符入)から31日(疫神社夏越祭)まで、何と1ヶ月にわたり行われます。

 

869年(貞観11)に疫病の退散を願い、66本の矛をたてて御霊会を行ったことが起源とされますが、970年(天禄元)創始説もあります。最初の頃は、疫病が流行した時のみの不定期行事でしたが、円融天皇の天禄元年(970)から、毎年6月14日におこなわれるようになったので、起源に2説あるようです。

 

祇園会で行われる行事で、首都圏のニュースでも紹介されるものがあります。それは重要無形民俗文化財に指定されている、山鉾町主催の山鉾行事です。特に有名なのが山鉾巡行という行事で、町単位の山・鉾と呼ばれる神輿が京都市内を曳かれるのです。

山鉾行事は、山鉾が設置される時期によって以下の2つ

  • 前祭(さきのまつり)
  • 後祭(あとのまつり)

に分けられます。山鉾巡行は、前祭:7月17日・後祭:7月24日に行われます。

 

山鉾巡行のコースは以下の通りです。

  • 前祭:四条烏丸から河原町通を北上し、河原町御池から左折して新町御池に至るコース
  • 後祭:烏丸御池から出発し、河原町通を経て四条河原町から四条烏丸に至るコース(前祭の逆コース)

 

この山・鉾と呼ばれる神輿は室町時代から作山がみられ、京の町々を単位とする山鉾がありましたが、1467年(応仁元)1月〜1477年(文明9)4月の間の応仁・文明の乱と呼ばれる内乱によって京都市街地のかなりの部分が焼け野原になってしまったこともあり、祇園会は衰退してしまいました。

 

しかし、京都の町人の祇園会に対する思いは熱く、乱後23年めの1500年(明応9)のこの日、山鉾巡行が復活しました。その時の山鉾の数は25基とも26基とも言われており、乱以前の58基には及びませんでしたが、徐々に盛大になり、現在に至っています。また、山鉾が巡行するに当っての順番がくじで定められる様になったのも同年のことだそうです。

ちなみに、現在の山鉾の数は33基(前:23基、後:10基)です。京都市観光協会が公開している祇園祭のサイトで、各山・鉾が写真・解説入りで紹介されています。以下にそのサイトへのリンクを貼り付けておきますね。見応え充分ですよ!

祇園祭 山鉾の説明

祇園祭 トップページ

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっていました。

今日はここまでです。

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