7月8日 <警察予備隊の創設(1950年=昭和25)>

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1950年(昭和25)のこの日、マッカーサーは吉田茂首相に書簡を送り、75,000人の国家警察予備隊の創設と海上保安庁の8,000人増員を指令しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

警察予備隊は、第2次世界大戦後に日本が保有した最初の防衛力です。

1950年(昭和25)朝鮮戦争勃発したため、在日米軍が日本から朝鮮半島に出動することになり、日本国内には軍事力の空白が生じました。

 

その空白を埋めるため、1950年(昭和25)のこの日、マッカーサーは吉田首相宛の書簡で75,000人の国家警察予備隊の創設と海上保安庁の8,000人増員を指令しました。この指令の実態は、四個師団の陸軍と沿岸警備隊をつくれ、ということで、戦争の放棄と軍備の不保持を宣言した日本国憲法と真っ向から矛盾するものでした。

 

このマッカーサーの書簡を受け、政府は同年8月10日、警察予備隊令を公布し、警察力を補い治安維持を主な任務とする警察予備隊を新設しました。

隊員は米軍顧問による訓練を受け、装備はすべて米軍のものでした。

 

実は、この朝鮮戦争の勃発は日本のみならず西ドイツの再軍備のきっかけともなったのでした。

しかしながら、西ドイツの再軍備はアメリカ・フランス・イギリスとの外交交渉、さらに国内的にも自由民主党(FDP)・社会民主党(SPD)・キリスト教民主同盟(CDU)との間の議論を経て、議会による同国軍隊の厳格なコントロールが確立されたことによってようやく実現したものでした。

これに対して、日本の場合はマッカーサーにおる一通の命令書によって、いかなる国際的交渉も国内的議論もなく75,000人に警察予備隊が創設される、という些か特殊な経緯で再軍備が始まったのでした。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。

 

今日はここまでです。

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