10月19日 <早慶戦が復活しました(1925年=大正14)>

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1925年(大正14)のこの日、両校応援団の喧嘩騒ぎによって長らく中止されていた早慶戦が早大戸塚球場に超満員の観客を集めて行われました。

これは大正時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

野球の早慶戦は、現在は東京六大学リーグ戦の看板カードとも言われ、毎回多くの観客が球場を訪れるほかテレビ中継が行われるほどです。その歴史は113年にも及ぶ長いものですが、その歴史の中では絶縁状態に近い一時期もあり、その間は早慶戦が行われませんでした。

 

初めて早慶戦が行われたのは1903年(明治36)でした。慶應義塾大学野球部は1888年(明治21)に発足した「三田ベースボール倶楽部」に端を発していたので、この時既に15年の歴史があり、一方の早稲田大学野球部は、早稲田大学の前身の東京専門学校に1901年(明治34)創部されたので、まだ2年ほどの歴史でした。早稲田側から慶應に「挑戦状」が送られ、それに慶應側が応じたところから始まった早慶戦、初回は11対9で慶應義塾大学が勝利を収めました。

 

なかなかやるじゃないか!とお互いに認め合う実力だったこともあり、早慶戦は翌年から定期的に行われることになり、先に二勝した方が勝ちというルールまで出来たのですが…その交流は長くは続きませんでした。1906年(明治39)秋、第一試合は慶応の勝ち、第二試合は早稲田の勝ちとなったところで両校応援団の喧嘩騒ぎから、第三戦が中止になってしまいました。そして、明治大学・法政大学・立教大学が加わり五大学リーグになってからも、早慶両校は対戦しない、という極めて変則的な状態が続いていました。

 

1925年(大正14)に東京大学が加盟し東京六大学リーグ戦が誕生すると、早慶戦復活の機運が大いに盛り上がり、同年の今日、復活第一戦が早稲田大学戸塚球場に超満員の観客を集めて行われました。試合は、第一回東京六大学リーグ戦を制することになる早稲田大学が、11対0で快勝しました。

 

ここで、おや?と思われる事が出てきました。早稲田大学戸塚球場で試合を…という記述です。現在、東京六大学リーグ戦は明治神宮野球場で行われていますが、その球場が出来たのは1926年(大正15)10月で、この年の秋季リーグの一部の試合から東京六大学で使い始めたそうです。

 

第一回は早稲田大学が優勝し、その後現在まで続いていますが、優勝回数はどうなっているのか調べてみました。

1位:早稲田大学   45回
2位:法政大学    44回
3位:明治大学    39回
4位:慶應義塾大学  34回
5位:立教大学    12回
6位:東京大学    0回

早慶戦の盛り上がりほど、両校の実力は伯仲していないのかもしれませんねぇ。ちなみに、1940年春季は明治大学・慶應義塾大学・立教大学の3校が7勝3敗で並んだため、「優勝預かり」という扱いになっています。高校野球や大学野球などから、今後のプロ野球のスター選手もきっと生まれてくるでしょう。そうした勝負が100年以上前から続いてきたという歴史の上に、現在の野球人気があるのだと思います。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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