11月10日 <営業用原子力発電に成功(1965年=昭和40)>

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1965年(昭和40)のこの日、日本原子力発電株式会社(以下原電と略します)の東海発電所は、初の営業用原子力発電に成功し、5,000kwの電気を東京に送電しました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

今は、敬遠され蛇蝎の如く嫌われている原子力発電ですが、1950年代には「第三の火」と呼ばれて期待され、原子力の平和利用に関する研究が進められました。

デジタル大辞泉では、第三の火に関する記述は以下の様になっています。

原子力のこと。燃料の空気中での燃焼による第一の火、電熱線の発熱などによる第二の火に対して、核分裂による発熱をいう。

(コトバンクから引用)

日本の原子力の利用は1955年(昭和30)、日米原子力協定で濃縮ウランを受け入れ、同年に公布・施工された原子力基本法によって歩み出しました。

原子力基本法は、日本における原子力の研究・開発・利用の根本原則を定めた法律です。そこでは「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限る」としたうえで、自主・民主・公開のいわゆる「原子力平和利用三原則」がうたわれています。

 

さて、今日の記事の東海発電所(とうかいはつでんしょ)は、日本原子力発電株式会社(原電)が運営していた、日本初の商業用原子力発電所です。

東海発電所は、1960年(昭和35)1月に着工、1965年(昭和40)5月4日に初めて臨界に到達し、日本初の商業用原子炉となりました。そして、同年のこの日、初の営業用原子力発電に成功し、5,000kwの電気を東京に送電しました。

営業運転の開始は翌1966年(昭和41)7月下旬で、本格的に動かし初めたのは翌8月8日で、最初は11万kwでした。定格出力16.6万kwの東海発電所は、その後27年間の営業運転を経て、1998年(平成10)3月31日に営業運転を停止し、廃炉と相成りました。現在、日本商業用原子炉として初となる解体作業中です。

 

原子力の安全性については技術的にも問題が多く。アメリカのスリーマイル島、ソ連時代のチェルノブイリ、日本でも高速増殖炉「もんじゅ」での事故そして忘れられない東関東大震災による福島第一原発の大事故などは、我々に大きな衝撃を与えました。

 

 

私事ですが、小生が家を建てた2004年(平成16)頃は、日本のエネルギー供給量の1割以上を原子力が占めており、24時間発電し続ける原子力発電の特性を活かした料金体系が各電力会社に設定されていました。そして、深夜電力を有効に使う装置がもてはやされ…小生もその波に乗りオール電化住宅を採用したのでした。

今後のエネルギーのあり方については、小生もまたどうするか考えなければいけませんね。

 

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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