12月6日 <大坂竹本座で「心中天網島」が初演(1720年=亨保5)>

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297年前のこの日、大坂の竹本座で、近松門左衛門の新作「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」が初演されました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

近松門左衛門は京都近辺の武士の出身でしたが、若い頃から文学に親しみ、当時流行していた人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)や歌舞伎の脚本を書いていました。

近松の作品は、当時の世相に題材を求めた世話物(せわもの)や、歴史上の説話や伝説に題材をとった時代物(じだいもの)などがあります。

 

今回の記事でご紹介する「心中天網島」は、この世話物の代表作の一つです。同年10月に網島大長寺であった心中事件を脚色した作品ですが、その実際にあった事件については詳しいことは判っていません。

物語の筋は、曽根崎新地紀国屋の遊女小春と紙屋治兵衛とが、治兵衛の兄や女房のさまざまな心遣いも届かず、心中に追い込まれていく…というもので、小春と治兵衛の女房との女同士の義理の立てあいや、妻子ある男の恋が周囲の人々を苦難に巻き込むありさまが描かれ、義理と人情との葛藤の挙句心中した二人が、この世で得られなかった幸せを来世に求める姿が見る者の感動を巻き起こしました。

こうした近松の世話物としては、この他にも「曽根崎心中(そねざきしんじゅう)」「冥途の飛脚(めいどのひきゃく)」などがあります。

 

心中は、抑圧された封建社会の中で美化され、題材にした浄瑠璃は大人気となりました。観客はこうした心中物に涙していたのですが、幕府・大名は快く思わず、特に江戸幕府第8代将軍徳川吉宗は心中物を忌み嫌っていたそうです。そうしたこともあり、幕府が推進した享保の改革の一環で、1724年(8)に、心中物の上演一切禁止したのでした。

 

2.過去年の記事

過去には、こんな記事を書いていました。こちらも併せて御覧下さい。

 

今日はここまでです。

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