4月 出来事

4月18日 <帝人事件発生(1934年=昭和9)>


今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

これは4分程度で読める記事です。

1.出来事ピックアップ

 

1934年(昭和9)の今日、帝国人造絹糸株式会社の株の売買契約をめぐり、帝人の高木復亨社長ほか帝人関係者が相次いで検挙され、世にいう帝人事件が起きました。

 

2.解説

 

帝人事件とは、番町会事件とも言い、斎藤実内閣を倒した昭和時代初期の疑獄事件です。

 

その当時、台湾銀行は金融恐慌で倒産した鈴木商店への債権として、その系列会社帝国人造絹糸株式会社(帝人)の株式22万株を持っていましたが、1933年(昭和8)5月、10万株売却の商談が成立、島田茂台銀頭取と買受団側の代表河合良成の間て契約が交わされました。

 

買受団には郷誠之助系の実業家の集まり番町会のメンバーが多く加わっていました。この番町会とは、第2次世界大戦の前、若手の財界人たちが月に一度、財界の大物郷誠之助(ごうせいのすけ)の私邸に集まる会合でした。

 

1934年(昭和9)1月17日『時事新報』は 番町会関係者が要路への工作によって帝人株式を不当に安く入手したとする『「番町会」を 暴く』の連載を開始、以下の内容で世人の目を惹きました。今で言えば文春砲みたいなもんですね。

その頃、帝人は人絹ブームに乗って成長を続けており、この帝人株の株価上昇が見込まれていました。これに目を付けた実業家のグループ「番町会」がこの帝人株の払い下げを実現しようと、鳩山一郎文相、黒田英雄大蔵次官、大久保偵次銀行局長ら当局者を動かして、1933年(昭和8)5月、島田茂台銀頭取と買受団代表河合良成の間で10万株売却の商談が成立しました。その直後、帝人は増資を行い、一挙に株価は上昇。株買受けに参加した人々は大きな利益を受けました。

 

検察当局は2月後半から帝人事件の捜査に着手、4月5日に関係者への家宅捜索が行われ、11日の岡崎旭取締役、18日の高木復亭(なおみち)社長(前台銀理事)・河合監査役・永野護取締役・長崎英造旭石油社長ら(永野· 河合・長崎らは番町会会員)と帝人関係者の検挙が相ついぎました。続いて5月19日に黒田英雄大蔵次官、21日に大久保偵次銀行局長ら五名の大蔵官僚が召喚、収容されました。

 

この段階になると立憲政友会出身の閣僚および政治家への波及が噂されるようになり、斎藤実首相は24日、元老西園寺公望の秘書原田熊雄に辞意を洩らしています。そして、6月29日の閣議で小山松吉法相はこれまでの捜査結果と、今後、三土忠造鉄道相や鳩山前文相、中島久万吉前商工相(2月に足利尊氏問題で辞任)への波及が必至であることを明らかにし、 斎藤内閣は7月3日に総辞職しました。このうち中島前商工相が7月21日に、三土鉄道相が9月13日に収容されています。

 

予審終結決定は12月26日に申し渡され、河合が背任、島田・高木・長崎らが背任および瀆職(とくしょく。汚職のこと)、中島・黒田・大久保らが瀆職、三土が偽証の容疑で公判に付せられることとなりました。

 

公判は1935年(昭和10)6月22日から1937年(昭和12)10月5日にかけて総計265回開かれ、判決は1937年(昭和12)12月16日に東京刑事地方裁判所で言い渡されました。判決では、背任に関しては正当な取引であること、贈収賄に関してはその事実がないことが認定され、16被告全員が無罪となったのです(23日検察側が控訴断念、判決確定)。

 

判決後藤井五一郎裁判長は記者団に対し「全く犯罪の事実が存在しない」と特に語っています。この様に帝人事件は虚構であり、検事の捏造とされています(その取り調べは苛烈窮まるといわれ「司法ファッショ」と批判されました)。

 

検事がこの様な暴挙に出た理由としては

  • 政党政治家・財界人の「腐敗」への反感と「革新」「改造」への意欲
  • 大蔵省と司法省の感情的確執
  • 政変招来によって検察OBの平沼騏一郎の政権獲得を実現する期待
  • 平沼・検察と皇道派・艦隊派などを結ぶ大陰謀による事件作出

など様々なものが考えられますが、噂や想像の範疇を超えるものではなく、真実は闇の中です。ただし、この時期平沼が政権獲得に向けて意欲的に動いていたことは事実ではありますけどね。

 

Wikipediaに、検事の河井信太郎氏のが帝人事件に対する評が、検察の動きを見事に表しているので、以下にご紹介します。

「塩野季彦司法大臣の大英断により控訴を断念したが、検事が証拠品の検討を怠っていたことが無罪の致命傷になった。掛物によく描かれている、水の中の日影を猿が藤蔓につかまってしゃくろうとしている画になぞらえて、影も形もないものを一生懸命にすくい上げようとしているのが検察の基礎であって、検察には争うことができなかった。」

(Wikipedia「帝人事件」からの引用)

 

今日はここまでです。

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