5月 出来事

5月17日 <ジョセフ・ヒコ、長崎に帰着(1859年=安政6)>

1859年(安政6)のこの日、太平洋で遭難し漂流してアメリカ船に救助された播磨国加古郡古宮村の彦太郎が、アメリカの市民権を得た日系米人第1号ジョセフ・ヒコとして長崎に帰着しました。

これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

おやおや、彩ちゃんが何やらダンスをしながら何かを言ってます

 

アイハブアペ〜ン、アイハブアンアッポー…
江戸時代にもピコ太郎が居たんだってぇ〜!
Pinot
にゃ…、ピコ太郎では無く彦太郎!

 

彩ちゃんのネタ元は、今更感の強いこのPPAPですね。下の写真をクリックすると、久しぶりにピコ太郎の動画が見られますよ。今はどうしちゃってるのでしょうねぇ。


<ペンパイナッポーアッポーペン・ピコ太郎>

 

1837年(天保8)、播磨国加古郡古宮村に生まれた彦太郎は、1850年(嘉永3)冬、知り合いの船に乗って江戸見物に出かけましたが、帰途暴風雨のために難破し太平洋を漂流すること52日間、アメリカ船に救助されました。

救助され米国・サンフランシスコ到着後に撮られた彦太郎の写真が残っているそうです。画像はWikipediaから無断で借用してきました。画像または下の青文字の部分からWikipediaの大きな画像をご覧頂けますよ。

 

<救助されサンフランシスコに到着した頃の彦太郎(14歳)>

 

そして滞米10年。日本人としてはじめてカトリックの洗礼を受け、ジョセフ・ヒコとなり、またアメリカの市民権を得てアメリカ国籍を取得しました。日系米人第1号が、このジョセフ・ヒコなのです。

 

そして、横浜開港時に初代駐日公使として赴任するハリスから領事館通訳に任命され、上海から軍艦ミシシッピー号に乗り、1859年(安政6)のこの日、長崎に帰着しました。

 

以後、ジョセフ・ヒコこと彦太郎は横浜で暮らし、浜田彦蔵と名乗りましたが、世間は彼のことを「アメリカ彦蔵」或いは略して「アメ彦」と呼びました。

大人になってからのアメリカ彦蔵の写真もありました。やはりWikipediaから無断借用です。

 

<アメリカ彦蔵>

 

後年、彦蔵は、貿易商社を興し、さらに1864年(元治元)には初の本格的日本語新聞「海外新聞(英字新聞を日本語訳したもの)」を発刊しました。こうしたことから、彦蔵は「新聞の父」と呼ばれています。著書には「漂流記」、英文の「自伝」があります。

 

彦蔵は、1897年(明治30)心臓病のために東京の自宅で世を去っています。享年61歳の波乱に満ちた生涯でした。

 

Wikipediaにはこんな情報もありました。

日本人に戻る法的根拠が無かったことから死後、外国人として青山の外国人墓地に葬られた。

(Wikipedia「浜田彦蔵」より引用)

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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