1931年(昭和6)のこの日、北満を視察中の中村震太郎大尉が中国兵に命を奪われました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは1分程度で読める記事です。
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1.解説
1931年(昭和6)のこの日、参謀本部員中村震太郎は中国東北部(満州)を軍事調査旅行中、日本人の立入禁止区域の洮南と索倫との間に入り、張学良指揮下の屯墾軍第三団長に射殺されました。
関東軍はこれを武力行使の口実にしようとしましたが、政府と軍中央とはこの動きをおさえ、しかも新聞発表すら禁止して同年8月17日からの日中間の外交交渉にこぎつけました(新聞発表は8月17日に解禁)。ところが、交渉が進展しないうちに関東軍は同年9月18日に柳条溝事件を起こしてしまいました。
この事件は、世論が満州事変支持に動く一つの素地になったことは間違いありません。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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