7月 出来事

7月11日 <総評、結成される(1950年=昭和25)>

1950年(昭和25)のこの日、総評=日本労働組合総評議会が結成されました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

第2次世界大戦後、1945年(昭和20)10月11日にGHQが出した五大改革指令によって労働組合の結成、すなわち労働者の団結権が確立されました。同年12月には労働組合法が制定され、労働者には団結権・団体交渉権・争議権が保障されたのです。

こうした流れがあって、労働組合に参加する人=組合員は1948年(昭和23)には660万人に達し、戦前の最高40万人を大きく超えました。1949年(昭和24)の組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は56%近くに達しました。それは、教職員や国鉄労働者などの官公庁労働者の組織化が進み、民間でも各企業を単位に全従業員が参加する企業別組合が結成されたことによります。

これらの組合は、戦前の労働総同盟の流れを汲む日本労働組合総同盟(総同盟)や日本共産党の影響が強かった全日本産業別労働組合会議(産別会議)などのナショナルセンターに組織され、活動しました。

ナショナルセンター(national center)とは労働組合の全国中央組織のことです。個々の労働組合が加盟する連合組織であり、加盟組合のまとめ役であり、参加した組合が協調した行動を行うことを目的とした組織です。

 

1950年(昭和25)のこの日、産別会議に対抗して、民同派と総同盟主流派が連合し、GHQの支持のもとに17組合3,977千人が参加する日本労働組合総評議会(総評)が結成されました。

 

結成大会では朝鮮戦争に参戦した米国を支持しましたが、翌1951年(昭和26)3月の第2回大会では全面講和・再軍備反対などの平和四原則を採択し大きく方針転換をして「ニワトリからアヒル」に転化したと揶揄されました。それ以降一貫して社会党を支援し、その支持基盤となりましたが、1987年(昭和62)に傘下の民間労組が同盟の労組などとともに連合をつくり、1989年(平成元)連合が官公部門を含む組織に改組されたのにともない解散しました。

 

戦後、労働者が参加し活動の幅を大きく広げた労働組合でしたが、現在は状況が変わってきているようです。1949年(昭和24)の時点で56%近くあった組織率は2017年(平成29)には過去最低の17.1%。労働組合員数は1994年(平成6)にピーク12,699千人を記録したのちは減少に転じ2017年(平成29)には9,981千人と減少傾向にあります。

こうした現象の背景には

  • 正規労働者の減少
  • 非正規労働者の増加

があると考えられています。

かつては、新卒が正社員として入社したと同時に労働組合に加入していましたが、現在の働き方は変わってきています。正社員だけでなく派遣、契約社員(パート・アルバイト)等の非正規雇用が多くなるにつれて、労働組合に加入する人の割合が減ってきたのです。

労働者の権利を守る、という意味では労働組合は有効な手段の一つであり、働き方が変わってきている現在、労働組合はその活動の原点を見つめ新たな展開を模索しなくてはいけない時期に来ているのではないでしょうか。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。

 

今日はここまでです。

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