1724年(亨保9)のこの日、江戸幕府は甲斐国府中(甲府)にある甲府城と府中の政務を任務とする甲府勤番支配を創置し、有馬純珍・興津忠閭2名が赴任しました。
これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
甲斐国府中は、江戸西方の関門として徳川氏一門を置くか直轄地としていました。江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の時代には特例的に、その当時、綱吉の寵愛を受けていた柳沢吉保が甲府藩主となりましたが、1724年(亨保9)3月に藩主柳沢吉里が大和国郡山へ転封されて甲斐国一円が幕領となりました。
その際、甲府城の警衛と府中の政務をおもな任務として甲府勤番が設置されました。そして、1724年(亨保9)この日、有馬純珍・興津忠閭2名が甲府勤番支配として赴任しました。
甲府勤番は大手・山手の二組から構成され、長官の甲府勤番支配2人は遠国奉行の上席に定められ、役高3,000石、役知1,000石を支給されました。配下として、それぞれ
- 勤番支配組頭(役高200俵、役料300俵):2人
- 勤番士(持高勤め):98人
- 与力(現米80石〜150俵):10騎
- 同心(15〜30俵):50人
などが所属しました。
甲府勤番の任務は
- 甲府城の守衛
- 城米の管理
- 武具の整備
- 町方支配
でした。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
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