9月28日 <捕鯨母船日新丸の竣工(1936年=昭和11)>

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今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の世界の出来事を覗いてみましょう。

 

捕鯨の歴史は大まかに言うと、帆船に数隻の小舟を乗せて出漁し手銛(てもり)を使う古代捕鯨にはじまり、17世紀に入り捕鯨艇と銃を使う様になったアメリカ式捕鯨、さらに19世紀には捕鯨母船がキャッチャーボートを従えて出漁し捕鯨砲を使うノルウェー式捕鯨の三つに大別されます。

 

1936年(昭和11)のこの日、川崎造船の神戸造船所で竣工(しゅんこう)した株式会社林兼商店(第二次世界大戦後は大洋漁業株式会社)所属の日新丸は、初の国産ノルウェー式捕鯨母船でした。全長163m、総トン数16,764トンで、6,000馬力のディーゼルエンジンを搭載しており、当時最大の大型船舶を、わずか7ヶ月で完成させた造船技術は世界的にも話題になったそうです。

 

わが国の近代捕鯨は、1899年(明治33)に岡十郎が日本遠洋漁業を設立し、ノルウェー式捕鯨を導入し日本捕鯨の近代化を目指しました。その後、1903年(明治36)には、母船式漁業取締規則(国内法)ができたあと時代は下り、日本捕鯨株式会社がノルウェーからアンタークチック号を買い取り、図南丸(となんまる)と改称して南氷洋捕鯨を始めた1934年(昭和9)から活発化しました。

 

しゅんこうにた日新丸は、その10日後には乗員約300名を乗せて、神戸港から南氷洋へ向けて初出漁しました。この時は125日間の操業で、1,116頭の鯨を捕獲しました。

 

その後、わが国の捕鯨は、日本水産(図南丸)・極洋捕鯨(極洋丸)・林兼商店(日新丸)の三社が南氷洋や北太平洋で活躍しましたが、第二次世界大戦で休漁となりました。

 

この日新丸は、第二次世界大戦中は油送船として就航しましたが、1944年(昭和19)5月6日にボルネオ島付近で米国の潜水艦クレヴァルにより沈められてしまいました。

 

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さて、第二次世界大戦後の捕鯨について補足します。

1951年(昭和26)に、日本はIWC(国際捕鯨委員会)に加盟します。そして1960年(昭和35←小生の生年であります)に最盛期を迎えましたが、1960年代後半から鯨の個体数の減少や鯨保護運動の高まりもあって、国際的捕鯨規則が強化された結果、その捕鯨の規模は大幅に縮小せざるを得なくなってしまいました。

そしてIWCの決定により、シロナガスクジラに関しては1962年(昭和37)3月に遠洋捕鯨、1963年(昭和38)3月に沿岸捕鯨が、一旦終止符を打ちました。

 

現在は、ミンククジラを主体とした少量の捕鯨や調査捕鯨と称した捕獲が継続して行われています。

 

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