1月 出来事

1月28日 <第一次上海事変勃発(1932年=昭和7)>


今日という日はどんな日でしょうか?

日本史の中の出来事を覗いてみましょう。

 

1.出来事ピックアップ

 

1932年(昭和7)の今日、第一次上海事変が勃発しました。

 

2.解説

 

上海事変は、満州事変勃発後の中国で、日本人僧侶の傷害事件をきっかけにして大日本帝国海軍陸戦隊と中国第19路軍とが衝突した出来事です。

 

1931年(昭和6)9月18日に满洲事变が勃発し、中国東北三省の主要都市は日本軍の占領するところとなりました。中国は国際連盟に日本の侵略を提訴する一方、日貨ボイコット運動を全国的に展開し、日本の中国輸出に重大な打撃を与えました。

 

当時、上海は中国最大の貿易港で排日運動の中心となっていました。

 

その上海で、1932年(昭和7)1月18日に日本人の日蓮宗僧侶らが中国人に襲撃され3名が重傷を負い、うち1名は死亡するに至ったのです。この襲撃は、満洲から列国の注意をそらすため、関東軍の依頼て公使館付武官輔佐官の田中隆吉少佐が計画実行したといわれています。

 

日本人居留民(約25,000人)は僧侶襲撃事件に激昂し、政府に陸海軍の派兵による抗日運動の弾圧を要請し、一部青年は報復を実行しました。

 

上海総領事の村井倉松は同年1月21日に上海市長の呉鉄城に対して、陳謝、犯人の処罰、被害者への慰藉、抗日団体の解散を要求しました。

 

抗日団体の解散が問題となりましたが、村井総領事は1月27日午後8時に、翌日午後6時を期限とする最後通喋を提出しました。また、同日、日本を含む列国は協議を行い、共同租界内を列国で分担して警備することを決めました。

 

1月28日午後3時中国側は全面承認を回答しましたが、共同租界は午後4時から戒厳令が布告され、各国守備隊および義勇隊が警戒配備につきました。しかし日本陸戦隊の配置は遅れ、深夜に陸戦隊本部を出発、閘北(ざほく)地区に入り、既に警備についていた第19路軍と交戦を開始するに至りました。ここに上海事変は勃発したのです。中国側が日本の要求を承認した以後において戦闘が開始されたのは、日本側の意図的挑発か慎重さを欠いた行動かのいずれかに原因すると考えられています。

 

1月29日。中国は国際連盟に規約第15条の適用を要求した。現地では陸戦隊は苦戦を余儀なくされ、犬養内閣は2月2日上海への陸軍の派兵を決定しました。同日、英・米・仏三国大使は芳沢謙吉外相に停戦幹旋を申し出たが拒否され失敗に終っています。日本軍(第9師団・混成第24旅団)は2月7日から上陸を開始しましたが、中国軍は頑強に抵抗し、日本軍の損害は甚大となったのでした。

 

2月23日政府は第11・第14師団を増派し、上海派遣軍(司令官自川義則大将)を編成しました。

 

3月1日、日本軍は総攻撃を実施、 中国軍はようやく動揺し租界周辺地域から撤退するに至ったのて、白川司令官は、3月3日、 戦闘中止を声明しました。この間、戦死傷者日本軍3,091名、中国审14,326名に及び、また一般市民の死傷・行方不明も2万名に達しました。上海戦では学生・市民が中国軍を積極的に支援し、従来の軍閥戦にはみられない新しい抵抗戦のタイプを示し、列国の注目するところとなりました。国民政府は第5軍を戦線に投入しましたが、江西省や武漢周辺の中共軍に牽制され全面抵抗はできず、日本側も戦火の拡大を望まなかったのて、結局イギリスの仲介のもとに5月5日上海停戦協定が調印され日本軍は撤兵するに至りました。

 

ざっと見ると、日本側の自作自演で騒動を起こし、戦闘を開始したのも日本側に原因がある…ということみたいです。それと、この上海事変には第二次、というのもありまして、それはまた何れかの機会にお話しましょう。

 

今日はここまでです。

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