4月24日 <「ベ平連」結成(1965年=昭和40)>

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1965年(昭和40)のこの日、作家の小田実さんや開高健さんらの呼びかけに応じて集まった人々により「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」通称「ベ平連」が結成されました。

これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。

これは2分程度で読める記事です。
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1.解説

 

1965年(昭和40)2月7日に開始された、「北爆」と呼ばれたアメリカ軍による北ベトナムへの爆撃により一般市民の死者が増えたことが報じられると、日本国内でも反戦運動が始まりました。

 

「声なき声の会」を母体として、1965年4月24日に「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」が結成されました。最初の代表は作家の小田実さんでした。事務局長には、最初は映画プロデューサの久保圭之介さんが就きました。

 

初期の活動は、既存政党とは異なる無党派の反戦運動で、基本的に「来る者は拒まず・去る者は追わず」の自由意思による参加が原則という自由な雰囲気が特徴でした。規約も会員名簿もなく、そうした自由な雰囲気であったこともあり、左翼団体だけでなく、右翼の玄洋社や学生、社会人、主婦など、幅広い人々が参加する事になりました。

 

同年11月には、作家の開高健の発案でアメリカの『ニューヨーク・タイムズ』へ反戦平和の全面広告を掲載したり、米脱走兵の支援救済をしたり、と様々な活動を精力的に展開しました。脱走米兵の救済にあたっては、旧ソ連のKGBからの資金援助も受けていたそうです。

 

1973年(昭和48)1月27日にアメリカと南ベトナム・北ベトナムとの間でパリ協定が調印され、アメリカ軍がベトナムから全面撤退したのを受けて、1974年(昭和49)1月に解散しました。

 

最初は自由な雰囲気であったベ平連も、徐々に左翼よりのイデオロギー色が強まり、開高健をはじめとしてこれらの左傾化を嫌い運動から離脱していくものが増加したそうです。

 

このベ平連の母体であった「声なき声の会」は今でも「誰でも加われる反戦・平和の会」という活動を続けているようです。この直前の青文字の部分に、その現在の活動を知ることが出来るサイトへのリンクを貼り付けておきました。

 

2.他の年、この日の記事

他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。

今日はここまでです。

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