1979年(昭和54)の今日、長野・岐阜両県にまたがる(ちょうど県境にあります)木曽御嶽山(標高3,067m)が、轟音とともに突如噴火しました。これは有史以来はじめての火山活動で、その火山灰は100km離れた軽井沢まで届きました。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
今回の記事は、1979年(昭和54)のこの日、長野・岐阜両県にまたがる(ちょうど県境にあります)木曽御嶽山(標高3,067m)が、轟音とともに突如噴火しました、というものです。
この噴火、実は有史以来はじめての火山活動で、その火山灰は100km離れた軽井沢まで届きました。
この「有史以来」という言葉は、時々見かけますが、これは「文字によって歴史が記録される様になってから」とお考え下さい。それ以前は「先史時代」という表現を使います。
つい先年、2014年9月に大きな噴火があり、我々を驚かせた御嶽山の話です。2014年の爆発は登山者58名が亡くなるという、戦後最悪の火山災害となったことは我々の記憶にも残っておりますが、NHKにその噴火に関するとてもよく出来たサイトがあります。そのサイト名は『NHK 御嶽山「噴火の証言」』です。時間がある時にご覧下さい。
この御嶽山の噴火の記録は、それほどなく、この1979年(昭和54)以降は1991年(平成3)、2007年(平成19)、2014年(平成26)の3回です。噴火規模は2014年を除けば、1979年が最大で、噴煙は4-5,000mにまで上がり、最大降灰深度は3cmだったそうです。
この御嶽山の「タケ」は雨・雲を支配する神霊の住む高所の霊界を意味し、そうした語源であることから各地で要となるような山に御嶽山と名がついています。Wikipediaによれば、日本に御岳山または御嶽山(おんたけさん、みたけさん、みたけやま、みたきさん、みだけやま、おたけやま)と名が付く山は、北は秋田県から南は大分県まで26山あります。必ずしも標高が高い山ばかりではなく、最も低いのは125m、最高峰は木曽御嶽山(3,067m)です。
なかでも、この木曽御嶽山は富士山とともに庶民登拝の山として信仰をあつめていました。古来「王岳(おうたけ)」「王の御嶽(おうのみたけ)」と呼ばれ修験道の道場として栄えた御嶽山は、室町時代には民間信仰と結びついた御嶽信仰が生まれて、道者が集団登拝するようになりました。時代が下って江戸時代になると「おんたけ」と呼ばれて尾張の覚明行者(かくめいぎょうじゃ)、江戸の普寛行者(ふかんぎょうじゃ)が登拝で登山道を整備したこともあり一般民衆にも開放され、御嶽講(おんたけこう)が全国に組織されるようになりました。御嶽講は神がかりな託宣をする点に特徴があるそうで、亡くなった後、信者の霊魂は霊神となって御嶽に回帰すると信じられているそうです。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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