1721年(亨保6)のこの日、江戸の呉服商の大店として名高い三井(越後屋)は、「旅買物式目」を定め、上州への絹の買付けに進出しました。
これは江戸時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
彩ちゃんと黒猫のPinotとがまたまた売れない漫才をやっています。
おやおや、黒猫Pinotは物知りですねぇ。現在は株式会社三越伊勢丹が運営している三越百貨店は、越後屋という屋号の店の創業家である三井家の「三井」から「三」、そして創業時の屋号「越後屋」から「越」をとって合体させたものなのですね。
さて、その越後屋の始まりは、三井高利が1673年(延宝元)に江戸本町一丁目に開店した呉服店で、同年に京都室町通二条下ル蛸薬師町に仕入店を開きました。
1687年(貞亨4)には幕府御納戸呉服御用をひきうけて、商売がビッグに成っていきます。
越後屋は、大坂店も開き、越後屋八郎右衛門名前の京都店を本店とし、越後屋八郎右衛門名前の江戸向店と松坂屋八助名前の江戸芝口店、京都西陣の上之店、紅店や勘定場、江戸糸見世を合わせ越後屋ホールディングスとでも言うべき発展を見せるのでした。
1721年(亨保6)のこの日、越後屋は、「旅買物式目」を定め、上州への絹の買付けに進出しました。この「旅買物式目」は、絹買付けに出張する手代の代表が出発に際して、当主かあの買付けの指示を守ることを誓約したもので、この日を初回として幕末まで387名の署名が確認されています。
こうした越後屋の店舗展開や仕入れは、関東で養蚕・製糸業が盛んになり、西陣織の原料として重視され、それが全国規模の物流として動いていたことを意味しています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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