1950年(昭和25)のこの日、GHQは新聞協会代表に、共産党員とその同調者を職場から追放するように勧告しました。いわゆるレッドパージの始まりです。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
広告
1.解説
レッドパージとは共産党員とその同調者を公職や企業から追放することです。
1950年(昭和25)5月のマッカーサーによる日本共産党の非合法化の示唆、6月の共産党幹部の追放、7月の共産党機関紙「アカハタ」停刊命令など、占領軍による共産党排除政策などで、こうしたレッドパージの方針が明確になっていきました。
1950年(昭和25)のこの日、GHQは新聞協会代表に、共産党員とその同調者を職場から追放するように勧告しマスコミ関連各社での共産党員排除が始まりました。同年8月5日までにNHKで119名、朝日新聞社で104名をはじめ総数で704名にのぼりました。
その後、ほかの民間企業、公務員にも拡大し、年末までには1万数千人の人々が、思想上の理由から職場を追われました。
この結果、労働組合では共産党系の影響力は大幅に弱まったのでした。
このレッドパージによって、職を失った方々で復職できた人は殆ど居られず、また、そのレッドパージによって失職したことが判明すると再就職先で不利益を被る状態であったそうです。
あくまで私見ですが、こうしたレッドパージにより不利益を被るというのは、日本国憲法第19条に保障されている「思想・良心の自由」を侵害する行為であり、それに対する救済はなされるべきであったな…と思います。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
昨年は記事作成をサボっており、この項は無しです。
今日はここまでです。
こちらのリンクからは他の方のblogをご覧頂けます。日本史に関する様々な情報満載ですよ。一度だまされたと思ってポチッ!とな…とされては如何ですか?
コメント