1973年(昭和48)のこの日、原油が21%も一気に引き上げられました。この後に起こる石油ショックの始まりでした。
これは昭和時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
1973年(昭和48)10月6日から始まった第4次中東戦争のなかで、同年の今日、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)加盟のペルシャ湾岸の産油6ヶ国は、大胆な石油戦略を取りました。
何と、石油公示価格の21%引き上げを宣言したのです。
そして、翌17日には原油生産の削減とイスラエル支持国への全面的輸出禁止を発表しました。
これに応じて、OPEC(石油輸出国機構)も、原油価格を一気に4倍に引き上げました。
石油ショックの始まりでした。
この頃我が国は、あの田中角栄が総理大臣となっていました。
「決断と実行」を掲げてスタートした田中内閣は日中国交正常化を果たし、また国内でも通産大臣時代にブチ上げていた「日本列島改造論」によって高度成長政策の促進を図ろうとしていました。
ところが、田中内閣は1973年(昭和46)2月から始まった円の変動為替相場制への移行によって起こったドル・ショックによる巨大な経済変動に直面しました。政府は金融緩和策を行いましたが、そのために地価が高騰してしまい、東京圏の地価は前年比36%Upとなり、インフレが亢進したのです。
そこに加えて、今回ご紹介した石油ショックです。
我が国では、それまでに進んでいたインフレに加えて、狂乱物価というパニックが発生しました。生活必需品であるトイレットペーパー・洗剤・塩などの買占めが行われたんですねぇ…懐かしい。お店の陳列棚がすっからかんでした。
こうした大きい変動によって、1974年(昭和49)、日本は戦後初のマイナス成長を記録することになりました。
高度経済成長の終焉でした。
こうした、石油ショックの影響を受けた先進国は、新しい枠組みでの合議をするようになりました。
サミット
ですねぇ。あ、スーパーマーケットの名前ではありませんよ。
1975年(昭和50)、アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・日本・イタリアの先進6カ国の首脳が参集し、世界的な不況に対応するために、協議をするようにしたのです。
この先 進国首脳会議(サミット)には、翌年からカナダも加わり、毎年開催されるようになっています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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